岩代大枝城(1/2)

ジャンル:中世山城
所在地 :福島県伊達市梁川町東大枝舘
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :山頂部に1台は確実
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
南北朝時代末~南北朝合一後の頃、伊達氏9代目政宗の弟である宗行が築いたとされています。
その後、宗行家が代々城主となり、のちに大枝氏を名乗るようになります。
大枝氏は天正19年(1591年)に葛西大崎一揆後の再仕置で伊達政宗が岩出山城へ減転封され伊達郡を没収されると、宗直も伊具郡大蔵に移されました(のちに大條(おおえだ)に家名を変えた)。
慶長5年(1600年)の徳川家康率いる上杉征伐に呼応して伊達政宗が福島城に侵攻。
その際に、梁川城(未訪問)の上杉軍に対する手勢を大枝城付近に配置したとされています。
このとき、大枝城を攻め落としたという記録がないようですので、伊達政宗が転封されたのち~慶長5年以前に廃城になっていたと思われます。

【縄張】
定番のようになってしまいましたが、余湖さんのお力をお借りします。
余湖さんの縄張図
※引用元はこちら

遺跡指定範囲を見ると、主要部の3郭構造に加え、縄張図の下の桃畑と記載されている場所や、左下の何も記載がないところ(現地は民家や畑)も含まれています。
主郭の平地との高低差と主郭の広さから、城主館を麓部に築く必要性はあまり感じませんから、主に家臣屋敷だったのかもしれません。

【写真】
南東にある橋のあたりから見るとこんな感じです。
遠景
最高部が主郭で、後ろ堅固の構えを見せています。

城跡近くに2か所案内表示を見つけましたが・・・
案内表示
どちらも大きいのはいいのですが、目立たない色調ですw

この案内表示から未舗装路に入っていきます。
未舗装路とは言っても普通車で余裕です(車高下げている車は別)。

入っていってすぐの農道の両脇に空堀跡があります。
空堀跡

空堀
どちらもかなり浅いので、土塁を突き崩して埋め戻したのではないでしょうか。
ちなみに、農道がかつての土橋だったかどうかは不明ですが、虎口があったのはほぼ間違いないのではないか、と下の写真から推測しています。
虎口か
両脇に土塁のような、本当にわずかな地形ですが見て取れます。
もちろん、のちの改廃の結果でそれっぽく見えているだけ、という可能性も否定しません。

そして、このすぐ南側に三の郭があります。
南側を真正面から見たところ。
三の郭
正面の一段高いところが二の郭です。

三の郭の東端から西側を見たところ。
三の郭

二の郭を北側から見下ろしたところ。
二の郭
削平がやや甘いのが見て取れます。

続く
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Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
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藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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