羽前長瀞城(2回目)

※1回目はこちら。あまりにさびしい紹介なのでやり直します。

ジャンル:中世平城~近世陣屋
所在地 :山形県東根市長瀞楯之内 および周辺一帯
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :長瀞公民館の駐車場をお借りできると思います
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
鎌倉時代建長年間に西根氏によって築城されたという。時代が変遷すると最上氏の所領となり、4代目当主最上満家が隠居の為に利用した(追記:近くの長瀞本楯楯との混同の可能性あり)。その後は最上満種や最上満宗の居城になったとも、長瀞左衛門尉が本拠を構えたとも言う。本格的に城郭が整備されるのは最上義光が入城してからである。元和8年(1622年)に最上氏が改易されると山形藩の所領となり、鳥居氏、保科氏と城主は変遷する。寛文11年(1671年)、保科氏の転封に伴い天領となり、幕府が元締陣屋を設置して直轄した。その後、寛政10年(1798年)に米津氏が武川久喜からこの地に入り、長瀞藩の長瀞陣屋となった。

※Wikipediaからの転載。
※ここまでは追記部があるのみで、それ以外は改変してません。以下は追記です。

しかし、義光の入城はあったのか、これは疑問です。
この「入城」の意味がただ単に配下の城となった、もしくはなんらかの領内巡視的な最中に寄った、というのなら別ですが。

一説には隠居城として整備した、という説をどこかで見た気がしますが・・・
義光が次男家親に家督を譲ったのが正式にいつかは分かりませんが、関ケ原の合戦までは間違いなく当主は義光で、家親は徳川秀忠の近習として真田昌幸が籠る上田城攻めに従っています。
そして、当時の奥羽の大名としては、豊臣秀吉の、小田原征伐~奥州仕置~文禄・慶長の役~死亡、その後の政治的な不安定、そして関ケ原の合戦、という時期には年若い子への家督相続はよほどの事情がない限り考慮の外ではないかと。
ですから、家督相続は早くとも家親が義光と同じ侍従に任官した慶長10年(1605年)から、義光が慶長16年(1611年)に従四位上、左近衛少将と出羽守に叙位・任官する間と考えることができます。
嫡男(長男)義康を高野山に退去させ、道中で暗殺された(義光が首謀者の説もあるが、断定するほどの証拠もない)のが慶長8年(1603年)ですし。
しかし、実際に
は義光が亡くなる慶長19年(1614年)近くまで政治活動をしていますから、当主死亡による家督相続と考えることもできます。ですから、長瀞城を隠居城として整備したとは考えにくいでしょう。

また、慶長8年(1603年)以降に隠居城として整備を始めたのは鶴ヶ岡城であり、長瀞城を隠居城として考えていたとしても、年齢・健康状態を考えてもまだ計画段階か、着手してそう時間は経っていないと思います。
当然、居城として入城したことはあり得ないと。

私見ですが、長瀞城を代官所的な役割を考慮しつつも戦闘時の防御力を考慮して拡張するよう命じただけではないか、と思います。

【縄張】
本丸を中心とした輪郭式の縄張です。
中世の雰囲気をかなり残したまま使われ続けた城館、陣屋と言えます。
案内図

【写真】
案内図のすぐ北側には立派な城址碑があります。
城址碑
ここから北側から回ることにしました。

二の堀(二の丸堀)の北東部。
二の堀
左手側が二の丸ですが、微妙に折れを伴っています。
土橋はかつての遺構かどうかは不明ながら、二の丸の折れを見ると、ここに小さな門があったとしてもおかしくないような印象を受けました。

そこから進み、ちょっと北東方向にそれていくと三の堀(三の丸堀)跡があります。
東側。
三の堀跡の水路

その背後の西側。
三の堀跡の低地
言われれば、なるほど、と思いますが、普通は気づきませんね。

戻って西に進むと二の堀の碑を見つけました。
二の堀碑

そして、二の堀西中心部から本丸方向に進むと、中心部の陣屋跡碑があります。
陣屋跡の碑
このすぐ道路東向かいに「青埜」という食料品店(仕出・宴会もあり)がありますので、見落とすことはないでしょう。

そのまま東に向かうと一の堀(本丸堀)の碑があります。
一の堀跡と碑
一の堀も細い水路になってしまっていて、言われなければ気づかないでしょう。

さらに東に進むと大手門の碑があります。
大手門碑
このまま東に進むと、最初の案内地図に戻ります。

今回は北半分の紹介になりましたが、南半分は遺構が北半分と同じ状況の場所か、完全に壊滅したかのどちらかでした。

また、長瀞城の移築門と伝わる門が2つ残っています。
一つ目は三の丸の西に隣接している禅会寺。
禅会寺の山門(伝・移築門)

もう一つは、南にやや離れた長源寺。
長源寺の山門(伝・移築門)
どちらかが大手門だそうです。
はっきりしません。
大きさでいえば長源寺山門でしょうが。

おまけ。
近くの長瀞小学校にはこんなものがあります。
小学校にある模擬櫓
小さな木製立札には「かりかね城」(長瀞城の別名)と書いてありました。

これは実際に使用されています。
小学校にある模擬櫓
なんと贅沢なすべり台かwww
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Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
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藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント= https://twitter.com/jcrsrchr

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