磐城小峰城(3回目)

※磐城小峰城(1回目) はこちら
※震災被害報告 はこちら
※磐城小峰城(2回目) はこちら

ジャンル:中世平山城~近世平山城
所在地 :福島県白河市郭内ほぼ全て および大手町、本町北裏、横町、田町の一部
お勧め度:★★★★☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :城跡である城山公園の無料駐車場がたくさんあります
登城日 :2017年2月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に、この地方を領有した白河結城氏の二代目当主、結城親朝が三代目の顕朝に家督を譲った後、小峰城を築城して別家となる小峰氏を興したのが始まりのようです。
白河結城氏は有力な武家でしたが、このような二頭体制といえるような構造を抱えた結果、内訌が絶えない一族だったようです。
白川城を治めた惣領家と小峰城を治めた別家が争った結果、惣領家が小峰城を治めた別家に代わるという、大きな変動もありました(勢力減退の最大の理由)。
そして、このような一族は力を失っていくことになり、徐々にその領地を減らしていくことになりました(磐城天王館もご参照ください)。
その後、豊臣秀吉の奥州仕置の結果、白河結城氏は改易となり、その領地は会津を拠点とした蒲生氏~上杉氏~蒲生氏が治めることとなりました。
その後、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で磐城棚倉から移封されると、彼によって近世的な、総石垣造の小峰城が誕生しました。
その後も藩主の変遷はありましたが、戊辰戦争の頃にはここは幕領(二本松藩預かり)となっていました。
守備兵は抗戦したものの、激戦の末に城の大部分は焼け落ちました。

【縄張】
南北に延びる連郭式(本丸、二の丸、三の丸などの郭が並ぶような配置)の平山城です。
そして、城下町主要部を堀で囲む総構えを持っていました。
初期と思われる町割
※磐城小峰城(2回目)から再掲の初期の町割図

【写真】
今回は、外郭線が一部あるとのことで、そちらを見に行ってきました。

まずは大手門近くの土塁跡です。
場所はこの地図写真の中央あたり。
土塁付近の地図

現況はこうです。
大手門近くの土塁跡
民有地だから仕方がありませんが、ブロック塀のせいでよく分かりません。
低い部分は堀跡でしょうね。

もう一つは小峰城西南の外門、道場門です。
場所は、JR白河駅と白河市立図書館の間、「白河駅前イベント広場」の西隣です。

現在の展示状況の概略図。
発掘結果

発掘調査の記録写真。
発掘時の記録写真

江戸時代の古絵図。
道場門の古絵図

現況。
東から見た状況。
道場門を東から

南から。
道場門を南から

西から
道場門を西から

道場門付近から御三階を見上げた写真。
道場門付近からの御三階(昼)
ついでに夜景
道場門付近からの御三階(夜)
スマホなので、イマイチなのはご勘弁をm(_ _)m

残念ながら、うっかり移築太鼓櫓(現在は茶室とのこと。リンク先は白河市役所HP)を見るのを忘れました。
城山公園の東側、福島地裁白河支部の北にあります。
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Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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