羽後赤尾津城

ジャンル:中世山城
所在地 :秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城3 一帯
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :主郭(本丸)に駐車場があります
登城日 :2016年10月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明
ちょっと読みにくいので、テキストに起こしてみました。

『高城山の由来(標高173m)

 高城山は西暦800年ころの昔は天鷺山と呼ばれ、豪族天鷺速男が居館を構え、付近一帯を天鷺郷と称し支配していたが、坂上田村麻呂に滅ぼされたと言い伝えられている。
 中世に入り本町から松ヶ崎及び大内町の一部の地域が赤宇曽郷と呼称されたが、由利十二頭時代は赤尾津氏が居館を築き近郷を支配していた。
 関ケ原合戦後、由利本荘地域は最上義光の領有となり、家臣の湯沢豊前守満茂が1603年に赤尾津(亀田)の地に入り、高城山を居城と定め、赤尾津満茂と名乗り、本城由利地方の殆どを支配したが、1610年に居城を本荘市に移し、本荘満茂と改名して統治を続けた。
 元和9年(1623年)に岩城氏が亀田藩主となって入部して高城山麓に陣屋を構築したが、場所は現在の亀田小学校付近と思われる。高城山の呼称は、山頂に古い時代に城が築かれてあったことから名付けられたと推定される。
 古の武将の興亡と歴史の変遷を偲び、赤尾津時代、この地を尋ねた連歌師山本宗佐の句(文字は伊藤春草筆)を刻み、本丸城址公園を整備して後世に伝えるものである。

平成10年7月吉日
岩城町長 前川盛太郎 撰文』

【縄張】
特にいい図がないので、高城城址公園の案内板で代用します。。
公園の案内

【写真】
山中の道路を上へ上へと進むと、案内標識が設置されています。
案内標識

主郭(本丸)には駐車場と展望台が整備されているので、こちらから。
主郭

中央には立派な城址碑が建ちます。
城址碑

主郭は南北に細長く、南側を除いた三方はかなりの急斜面で守られています。
主郭の周囲

写真を撮り忘れましたが、非常に急峻な山城のため、とても眺めはよかったです。

しかし、整備状況がそれなりにいいのはここだけ。
本丸から車で降って、「天鷺ワイン城」なるプラムワインの製造工場の東側から二の郭(二の丸)にアクセスしようとすると・・・
二の郭への道
行き止まりで、かつ進む先は藪状態。

じゃあ、三の郭(三の丸)はどうか、というと・・・
三の郭への道
見える屋根はたしか、赤尾津城に関する資料館か何か(すでに閉鎖済み)ですが、門は閉鎖。
そこから左手に降る道もあるのですが、その先は農業用と思われる倉庫。

公園の案内や立派な城址碑を見ると、整備当時(平成10年)はだいぶがんばって整備したようですが、集客力がなかったのでしょう、主郭以外は放棄された城館遺跡となってしまいました。
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山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
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一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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