羽前落衣長者屋敷(おともちょうじゃやしき)

ジャンル:古代郡衙~中世平城
所在地 :山形県寒河江市柴橋(この住所で検索しても、範囲が広いです。東端あたりになります)
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :農閑期(さくらんぼシーズン以外)であれば、説明板脇あたりに短時間なら怒られないかも?
登城日 :2016年8月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板
キーワードから読み取ると・・・
1.平安時代の郡衙(役所)
2.その判断根拠は布目瓦
3.蜷川親俊が移り住んだ
でしょうか。

小野良実とか小野小町は伝説にしかすぎないと思われます。
しかし、古代に多く作られ、中世にはあまり作られなくなっていったとされる布目瓦が出土したということは、それ相応の時期に瓦を葺くような建物があった=古代郡衙があった、は突飛な話ではないような気がします。
・・・これだけでは郡衙があったとも言い切れないと思いますけど、ね。

蜷川親俊さん。
西暦でいうと1560年ぐらいのころに室町幕府の政所代だったそうです。
蜷川親俊日記という文書が残されています。

戦国時代というものは、中央の文化人が地方に逃げる時代でもあったのです。

【縄張】
農地化が進みすぎて不明

【写真】
とりあえず、説明板の左右(南北)を見てみました。
説明板の南側

説明板の北側

・・おや? ややくぼ地がある・・・
と向かうとこんな感じ
土塁と堀跡か?
説明板によると、これが堀と土塁の跡になりますが、かなり・・・

土塁の上には石碑がありました。
土塁跡らしきところにある石碑
・・・読めませんw
なんとなく、お地蔵様のような気がします。
今は橋がかかっていますが、この辺りは昔は船で川を渡っていたはずなので。
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初めまして

この楯から南へ少し行くと平塩橋が架かっていますが、そこらが「牛前の渡し」(牛前は月山)になります。
蜷川親俊の墓碑(土佐壇)はこの楯跡から西方に、さらに西へ行くと左沢楯山城、南方は牛前の渡し~平塩熊野、北は高松楯、柴橋楯を経て六十里街道、東は八幡原を経て本楯といった立地になっています。
現在は大江町に移った巨海院もこの付近にあったといいますし、落衣千軒というくらい栄えた場所だったようです。

tourisu-garinさんへ

情報ありがとうございます。
今では農地が広がるこのあたりが「落衣千軒」と呼ばれるほど栄えていたんですねぇ。
勉強になりました。

No title

落衣長者屋敷の北側の旧河道(現在は田)などをgooglemapでみると、なかなか楽しいですね。

もうご覧になっているかもしれませんが「山形県中世城館遺跡調査報告書」を見ると現地調査のたしになるかと。1996年のものですが・・・
以下、奈良文化財研究所ホームページからダウンロードできます。
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/6263

tourisu-garinさんへ

中城報ってダウンロードできたんですか!
知りませんでした。
図書館に行っても禁帯出になっていて困っていたんです。
重ねてありがとうございます。

No title

いえいえ(^-^)/
良い城ライフを~
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プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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