羽前狩川城

ジャンル:中世山城
所在地 :山形県庄内町狩川
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :楯山公園の駐車場に停められます
登城日 :(忘れた)年(忘れた)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
山城ですが、本丸脇の駐車場まで車で登れるので省略

【遺構】
大正時代の公園化のため、本丸の堀切以外、どこまで手が入ったのかわかりません。
公園中心部を本丸と見立てると、だいぶ広すぎる本丸のように思えますので、いくつかの郭があった可能性も考えられます。
ただ、地形からすると(塀などで区分けした可能性は大ですが)かなり大規模な本丸だった可能性もあります。

本丸から北に向けて郭が何段かありますので、二の郭、三の郭などでしょう。

【来歴】
築城時期、築城主は不明。
関が原の合戦後、庄内を領有した最上義光は北楯大学利長を城代として本城に入れました。
しかし、元和の一国一城令により本城は破却されました。

なお、この北楯大学、かなりの土木行政手腕をもっていたようです。
当時、荒れ果てた原野だった庄内平野を見た北楯大学は庄内平野の開墾を決意します。
開墾には当然水が必要。
すぐそばに最上川はありますが、よほど上流でないと平野よりも低い。
そして、上流部との間はまさに渓谷となっており、水を引くなど不可能。

そこで考えたのが、最上川の支流、立谷沢川から堰を切ること。
ただし、相当な距離を切らなければならず、最上家臣団一同から不可能であると反対の声があがったそうです。
その中、当主義光が(当然、ほかの家臣に調査をさせ、実現性を見込んだ上で)堰の開削を許可しました。
開削によって上がった石高はすべてそのまま北楯大学のものにしてよい、というおまけつきで。

結果、堰は完成し、いまの「米どころ庄内」の礎となったのです。

この堰がいまも利用されている「北楯大堰」です。

【写真】
駐車場から本丸へ進もうとすると、この城跡でもっとも明瞭な遺構である堀切があります。
堀切

本丸跡。ただの公園です
本丸

本丸から北に伸びる郭。
写真だといまいち不明瞭ですが、肉眼だとよくわかります。
本丸北側

腰郭跡もあります。
腰郭
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しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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