陸奥九戸城

ジャンル:中世平山(台)城
所在地 :岩手県二戸市福岡城ノ内
お勧め度:★★★★★
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車場は二の丸にあります。
登城日 :(忘れた)年(初秋頃)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
二の丸まで車で行けるので省略
模型

【遺構】
だいぶ復元がされています。
近世に入る前に廃城となったので、建物などは復元しようがないでしょうが、豊臣秀吉に命じられた蒲生氏郷が南部信直のために築いた縄張が遺ります。

【来歴】
いつごろ築城されたかは不明ですが、南部氏の有力支族である九戸氏の本拠でした。

この城が歴史の表舞台に出てくるのは「九戸政実の乱」です。
九戸政実は、この当時南部氏の宗家となっていた三戸南部家を継いだ南部信直(生まれは一方井城)との後継者争いに負けたため、一触即発の状態でした。

政実は武将としては優れていたと思われ、信直勢をかなり圧迫していたとされています。
しかし、時勢は信直にありました。
豊臣秀吉に南部宗家として認められていた信直は、秀吉に国内の乱ための援軍を要請します。

結果は当然政実の負け。
大軍勢に九戸城を囲まれどうしようもなくなり降伏。
政実、実親兄弟の命と引き換えに城内の人々の助命を条件としたそうです。
しかし、その約束は果たされず、城内すべての人が殺された、とのことです。

その後、蒲生氏郷によって本丸周辺が改築され、信直の本拠城として引き渡されましたが、近世に入ってまもなく盛岡城が築城され、廃城となりました。
説明

【写真】
かつては農場だったそうですが、非常に丁寧な復元がされていて、非常に好印象が持てます。
二の丸の一部
二の丸にある駐車場から、北西方向だけを撮ったものですが、これだけでも相当な広さです。

ちなみに、東側は発掘作業されていて入れませんでした。
二の丸東側
いつ終わるのだろう・・・

北側に進むと搦手門跡があります。
搦手門跡
・・・軽トラックの轍があれですけど、枡形となっているのはわかります。

ここから西側に目を移すと、本丸搦手門跡があります。
木橋
当時の姿と合致するかどうかはわかりませんが、その奥にある小さな枡形と、写真ではわかりませんが、かつての石垣の痕跡がわずかながらあります。

搦手から南にいくと本丸大手門跡があります。
大手門
あまり大きいとはいえませんが、しっかりとした枡形と土橋、そして箱堀には穴太積の石垣が遺ります。

橋の上から見た空掘。
本丸空掘
見た目は立派な箱堀ですが、防御力を考えるといまひとつかな・・・
・・・豊臣秀吉の考えでしょうね、きっと。
「立派なモノを作ってやれ。ただし、防御力は弱く」みたいな。

ちなみに、下から見上げるとこんなかんじです。
本丸と二の丸の間の空掘を見上げる

さて、二の丸搦手から堀底を見たところです。
堀底道
正面にあるのが石沢館。
堀幅は広いものの、高低差はあまりありません。

石沢館
石沢館
本丸よりも広いですが、外郭線は不整形です。
このあたりが南部地域の古式なところが見受けられます。

本丸近辺は近世的ですが、周辺はまさしく南部氏流といってもいい、群郭式の縄張。
中世と近世が交じり合った面白いお城だと思います。
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Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
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藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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