岩代対馬館+允殿館(じょうどのたて)

ジャンル:中世平城
所在地 :
 対馬館=福島県会津若松市対馬館町 の一部
 允殿館=福島県会津若松市館馬町 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :允殿館は館薬師堂境内に停めることが可能
登城日 :2018年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
またもさくしろさん情報に頼ります。
以下、対馬館について引用。
「明応元年(1492)蘆名氏家臣松本対馬が築いたとされる居館。
対馬は明応九年(1500)正月、主である蘆名盛高に攻められ、弟松本勘解由の居城綱取城へ逃れた。しかしさらに盛高は同年二月綱取城を攻めてこれを落とし、対馬は誅殺された。」

こちらは允殿館についての一部引用。
「宝徳三年(1451)蘆名氏家臣松本右馬允通輔が築いたとされる居館。 」
他のさくしろさん情報はリンク先からご覧ください。
また、こちらの松本右馬允も盛高によって明徳七年(1498)に誅殺されています。
どうも、松本一族は謀反を繰り返していた一族であったようで、盛高も我慢の限界であったのだろうと想像できます。

【縄張】
対馬館は宅地化され遺構がないので不明。

允殿館は館薬師堂・薬師公園・蒲生秀行廟所がある微高地が主郭でしょう。
遺跡指定範囲はその外にも広がっており、そこは堀跡と思われますが、外郭の一部が含まれている可能性があると私は感じました。
単郭か、2郭程度の構造ではないでしょうか。

【写真】
対馬館は、ほとんどが対馬館団地となっており、遺構はありません。
ただ、2~3周ほど周回して気になったのがこちら。
堀跡のような微低地
たまたまこうなってしまっただけの可能性が高いのですが、もしこれが堀の埋め残りなのかもしれないと1枚だけ写真を撮っておいたものです。

そして、允殿館の移動中に気になったのがこちらの小河川。
東側を流れる小河川
もしも当時から流路が変わっていないとすれば、外郭線として利用されたものなのかもしれない、と写真を撮っておいたものです。

允殿館へ移動し、西側から微高地を撮影したもの。
館薬師堂と周囲との高低差
高低差はおおよそ1.5mといったところでしょうか。

こちらが微高地の全景。
館薬師堂などの全景
写真右手の桜の植えられたあたりが土塁の残滓にも見えますが、植樹の際の盛土かもしれません。

こちらは館薬師堂。
館薬師堂
特に何の説明板もなく、允殿館と関係あるのかないのかすら不明です。

こちらは全く関係ないであろう、蒲生秀行廟所。
蒲生秀行廟所
雪から守るように屋根をかけられています。

こちらが正面方向から見たところ。
蒲生秀行廟所の入り口
石積もしっかりしているし、さすが会津の太守の廟所だけある立派なものです。

こちらが説明板。
蒲生秀行廟所の説明板

允殿館はどこまで原型を保っているかは不明ながら、郭跡が残っているだけ幸いでした。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
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一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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