「悪次郎」池田盛周

・・・全国どころか、地元民もどれほど知っていることか、という武将です。

もともと、今の山形県の庄内地方北部を領地としていた国人武将です。
このあたりの土地勘、歴史勘がないと分かりにくいのですが、戦国時代の東北にあっては、大名衆の激戦地の一つでした。

【以下、前段が長いですw しかもはしょってます】
もともと、池田氏の領地あたりの最有力領主は武藤氏(大宝寺氏)。
いつ頃配下となったかは不明ですが、戦国時代には配下となっていたと考えられます。

戦国時代になったとはいえ、あまり大きい戦乱がなかったと思われますが・・・戦国時代も末期に近いころ、最上義光が現山形県内陸の中央~北部をほぼ治めると、彼は戦力的に弱かった日本海沿岸部の制圧を目指します。
・・・彼の言い分なら、「羽州探題に従わない勢力を駆逐する」という名目がありますが、攻められる武藤氏らにすれば今さら何を言っているのか、という話になるでしょう。
そして、それが激戦の引き金になりました。

初戦は武藤氏の重臣に造反者もいて、結果は最上義光の勝ち。

でも、武藤氏は隣国越後の有力家臣の新発田氏と縁戚となっていたからさあ大変。
跡継ぎ(新発田氏の娘の子)が頼っていけば、上杉氏が大手を振って攻めますよね。
景勝の代です。

国力は上杉氏が圧倒的に上だし、最上義光は援軍が間に合わず敗退(十五里ヶ原の戦い)。
しかも、そのころには上杉景勝は豊臣秀吉といい関係を結んでしまっていたのです。
そのため豊臣秀吉の惣無事令に反していたのに上杉氏にはおとがめなしでそのまま領有確定(名目としては武藤氏領の時期を挟んではいるようですが、実質は上杉氏領)。

そして、次に始まるのはいわゆる「太閤検地」
当然のように、豊臣政権に権力を認められている上杉氏としては、検地はしっかりせねば面目が立ちません。

しかし・・・
それまでは、農民は今でいう「脱税」ともいえる、新田開発&開発した田んぼの隠ぺいをしてました。
為政者からすれば脱税そのものですが、そもそも、税がきつすぎるからこそ、「為政者の目にとまらない、田んぼにするに向かないようなところに田んぼを作っていた」、という面もありました。

それを摘発されちゃあ、食っちゃあいけねえよ、と反発したのがのちに「悪次郎」と名乗ることになる池田盛周でした。
【やっと主題に戻ったw】

まあ、反抗しても勝てるわけもなく、逃げるしかない。
逃げる先が東に隣接していた地域、今の山形県最上地域、治めていたのは最上義光の家臣の鮭延秀綱
彼は知らぬ存ぜぬで盛周を匿いきったようです。

秀綱も苦労人だし、主君の最上義光も太閤検地には非協力(義光自身も上記のような隠し田んぼは、存在していないものとしていたようで)。
盛周は元の領地よりはかなり貧しくなったとは思いますが、安住の地を得ました。
そして、盛周自身は天下人に逆らった自分をもって「悪次郎」と名乗ったそうです。
かぶいてますね。

安住の地を手に入れたとはいえ、彼も貧しくていいわけではなく、新田開発をしました。
そのために彼が作った疎水が「悪次郎堰」
今も使われているそうです。

P.S.
盛周から200年以上が過ぎ、いつの間にか、そして確実に明治の維新のころには「悪次郎」は堰の名前どころか、地名にすらなっていました。
明治維新後には土地台帳を作るためかな? 当時の役人がこの地に来たとき、「悪次郎は地名として悪いから改称したほうがいい」という趣旨のことを言ったそうです。
しかし、地元の人たちは改称を拒否したそうです。

今も、悪次郎は「字」として登記簿に残っています。
例えば、当地にある山神社の住所、最上郡真室川町大字大沢字悪次郎2000-1として。
住所表示上は消えてますから、ググっても地図は出ませんけど。

P.S.のP.S.
ご子孫という方のサイトがこちらです。
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陸前千石城

<ジャンル:中世平山(丘)城
所在地 :宮城県大崎市松山千石(御本丸公園)
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :公園内にあります
登城日 :2014年9月
城館位置;GoogleMap

【登城ルート】
公園なので説明の必要はないですね(^∇^)ノ

【来歴】
来歴

【縄張図】
sengokujo_nawabari.jpg
・・・分かりにくいですね・・・

訪問時にはイベントに向けて地元の方々が作業されていたようなので、二番目に近い駐車場に停めました。
そこのそばから見上げたところです。
なお、説明板はこの写真の撮影位置そばにあります。
二の郭? 三の郭?

その先には腰郭らしきものが連続してあり、主廓の方向に向かっていけます。
連続した腰郭

主郭と思われる、現在の公園主要部。
けっこう広いです。
たぶん主廓

主郭の先にある展望台からの眺め。
おそらく、この場所は細長いことから櫓台であったのではないかと思います。
最高部からの眺め

堅固さはイマイチながら規模はそれなりに大きく周辺に支城もあります。
室町時代に現宮城県北部を中心に治めていた名族大崎氏(清和源氏足利流。その祖は足利尊氏の兄)の南東方面の重要な守りであったはずが、歴史の中に埋もれてしまったお城です。


妹好き? さけ好き? 最上義光

実は、最上義光、ひらがなで書くと「もがみよしあき」です。

どのぐらい前なのかは知りませんが、「もがみよしみつ」と言われていました。

それが分かったのが、妹である通称「義姫」(出家後は保春院。伊達政宗の母)への手紙です。
当時は女性は漢字は習えなかったのが普通で、だから兄(本人)からの手紙はひらがな。
その手紙に「よしあき」と書かれていたので、よしあきで確定しました。

また、さけ好きも手紙でばれてますw
さけはさけでも「鮭」。
関ヶ原の合戦後、国力差がありすぎる西軍方の上杉家によく抗戦したことの褒美として、一度は上杉家に奪われた海沿いの領地(今の山形県庄内地方)を取り戻しました。
そこに配置した家臣から塩引きの鮭を送られ、よっぽどうれしかったらしく、長々とお礼の手紙を書きました。

そうです!
面白おかしくいわれる最上義光の「シスコン」「鮭様」扱いは彼の筆まめさによって、証拠?が残ってしまったからですwww
しかもすべて直筆というから言い逃れはできませんねwww

なお、彼はもう一つ印象深い手紙を書いています。
家臣に対して「命の内に今一度、最上の土を踏み申したく候。水を一杯飲みたく候」という手紙を。
豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に名護屋城に詰めているときです。
臆病風に吹かれた、と言われてもおかしくない手紙。
それでも送りたかった、そして、それを送っても大丈夫なくらいに家臣との絆を信じていたと思われます。
また、秀次(彼の娘は秀次の側室として望まれ、彼は拒否しきれずやむなく娘を送ったといいます。その結果、彼女は秀次に連座して斬首に。一説には、彼女は秀次の顔すら見ない、京について数日のうちに斬首されたといわれます。また、彼はほとんど関係性のないのに秀次派ではないかとの疑いすら受けています)に絡んで秀吉には心証がよくない彼にとっては、捨て駒的に朝鮮半島に渡らなければならないかもしれない、という危機感があったかもしれません。

磐城小高城(紅梅山浮舟城)

<ジャンル:中世平山(丘)城
所在地 :福島県南相馬市小高区小高字古城36
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :相馬小高神社(本丸)脇にあります
登城日 :2013年5月
城館位置;GoogleMap

【登城ルート】
相馬小高神社一帯が城跡です。

【来歴】
古いやつ
odakajo-raireki.jpg

新しいやつ
odakajo-raireki2.jpg

駐車場がすでに本丸なので、今のメインの神社から
odakajo-honmaru.jpg
けっこう広いです。

その参道を上から
odakajo-sando.jpg
一段下がって二の郭かな? そこから先は一気に落ち込みます。

神社の裏手など、おそらく人があまり立ち入らないであろうところに遺構の名残らしきものがあります。

主郭虎口らしきもの
odakajo-koguchika.jpg

そこに至る登城道らしきもの
odakajo-tojomichika.jpg

城域が狭く、近世には相馬氏の本城の地位を失いましたが、高低差だけならその後の本城となった相馬中村城とさして違いはありません。

P.S.
相馬氏は、歴史上の経緯と領地の変遷がいろいろあれども、鎌倉時代から江戸末期までほぼ同一地域を領域とした数少ない武家です。
相馬野馬追いに興味があればぜひ行ってみてください。

磐城角田城(角田要害)

<ジャンル:中世平山(丘)城~近世要害
所在地 :宮城県角田市角田字牛舘1
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :ありません(学校としての駐車場は利用できないかと思います)。こっそりグラウンドと校舎の間あたりに停め...ゲフンゲフン
登城日 :2013年5月
城館位置:(Googleのアカウントを使えなくなったので後日)

【登城ルート】
宮城県立角田高等学校を中心としたところが城址です

【来歴】
説明板

城域の東側の水路
北側
堀跡の水路1

南側
堀跡の水路2
風情はありませんが、上記説明板によると堀跡になります。

グラウンド脇の道から主郭だった学校を見上げたところ
主郭方面
この時は乾燥してて風も強かったw

そして、主郭である学校に登るルート
主郭に至る道にある城址碑
城址碑が建ってます

そのルートの途上から、かつて城内だった南側を見下ろしたところ
主郭近くから城内だったところを見下ろした
名残は感じられません(´・_・`)

高校、市街地ということで、遺構はないともいえるでしょうが、残滓は残っています
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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