陸奥大仏ヶ鼻城

ジャンル:中世山城
所在地 :青森県弘前市石川
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :★☆☆☆☆
駐車場 :公園の駐車場が利用できます
登城日 :(忘れた)年(春)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
公園として整備されているので省略

【遺構】
だいぶ風化と人の手が入ったのか、郭跡しか確認できません。
それもどれだけ原形をとどめているのか・・・
大浦為信が南部氏から独立を勝ち取る第一歩となった戦の舞台、と考えると感慨がわいてきますけどね。

【来歴】
来歴
石川十三館=大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館

【写真】
公園に入るとすぐあるのがグラウンド、というかイベント広場かな?
グラウンド
ここはなんだったんだろう?
遺構とは関係ないのか、かつての馬場や家臣屋敷跡?

ちょと気をそがれつつもそのまま直進していくと、郭跡らしきものが。
郭跡その1

そのまま頂上にすぐに到着。
主郭か

そこから城外を眺めると・・・
城外
けっこう急斜面で、すぐ脇には外堀がわりの川があります。
まさしく後ろ堅固ですね。

その主郭下にも郭跡と思われる平場があります。
公園化した郭跡か

最高所から西に降り、公園入口に向かうルート。
かつての登城道?
幾重にも折れが連なるルートにはいくつもの石仏が・・・

入口に戻ると、ああこういうことね、と合点がいきました。
石川三十三観音

また、城内からは岩木山がきれいに見えます。
岩木山と堀越城
かなりわかりにくいですが、だいたい写真中央あたりが堀越城です。

うーん、堀越城がこれほどはっきり見えたのに、急襲を受けて落城か・・・
南部高信は油断していたのだろうか。
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陸奥堀越城

ジャンル:中世平城
所在地 :青森県弘前市堀越字川合
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車スペースは本丸跡の神社か、神社入口の鳥居の脇に1台くらいは停められます。
登城日 :(忘れた)年(秋)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
平城なので省略

【遺構】
本丸は土塁も低く、空掘も浅いながら残っています。
二の丸、三の丸は神社境内となった本丸付近のみ、本丸同様かなり風化されつつも残っています。

【来歴】
1336年(建武3年)に当地の地頭であった曾我氏によって築城されるたそうです。
しかし、南部氏の圧迫により、いつの頃か南部氏配下の大浦氏の属城となりました。
1571年(元亀2年)には大浦為信がこの城に兵を集めて石川城を急襲し津軽に覇を唱えました。
1594年(文禄3年)には大浦城より本拠をここに移したものの、事件事故が相次いだため、1611年(慶長16年)、弘前城完成と共に本拠は弘前城に移り、元和の一国一城令により廃城となりました。

【写真】
入口。鳥居の脇に城址碑もあります。
入口

入っていき、数戸の住宅を抜けて左手をみると・・・
土塁
?土塁?

・・・家に帰ってきてから調べて土塁であることを確認しました。
虎口跡だそうです。
食い違い虎口ですね。

本丸周囲には堀跡(水堀か空堀かはわかりません)があります。
堀跡
肉眼ならまだしも、写真だと草が多すぎてわかりにくいです。

本丸虎口と思われる土塁の切れ目
本丸虎口
これが虎口なら、食い違いもない、非常に古い縄張ですね。

本丸の土塁はこんな感じに遺ってます。
土塁

どうにも草の写真になってしまいましたが、いつもこんなにあるわけではないようです。
北の城塞」さんのところには草を刈った後の写真が掲載されています。

陸奥弘前城

ジャンル:近世平城
所在地 :青森県弘前市下白銀町
お勧め度:★★★★★
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車場はなかったと思います。周辺の施設用の無料駐車場はありますので、それらの施設で買い物するなどしてお借りすることは可能かと思います(観光シーズン除く)。
登城日 :(忘れた)年(秋)月、ほか数回
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
平城なので省略
地図

【遺構】
江戸時代初期に失った天守の跡地に移築され、天守代用となった三階櫓。
本丸や各城門跡に残る石垣。
意匠は同じながら、大きさの異なる現存櫓門5棟。
わずかとはいえ残る隅櫓(3棟)。
それぞれの規模は姫路城には到底及びませんが、建築物の残存具合としてはすばらしい東北の名城です。

【来歴】
豊臣秀吉の奥州仕置の際、どさくさまぎれに南部氏から独立した大浦為信=のちに津軽改姓。
大浦城から堀越城に居城を移すものの、事件事故が相次ぎ、防備の不安もあることから弘前城を築城することにしました。
その後、為信の死去があって中断した新城建築を津軽藩二代藩主信牧(のぶひら)が引継ぎ落成。
しかし、そのわずか16年後に5層5階の天守は落雷で焼失。
約180年後に今の三階櫓が天守として築かれるまで天守がない城となりました。
幕末の動乱期には新政府方についたため、この城は実戦を一切しないまま廃城となりました。

【写真】
弘前城といえば桜の名所。
桜と現存天守の写真が有名です。
・・・でも、非常に混雑するのでそのシーズンには行ったことがありませんw
天守
ということで、紅葉と天守です。
この日は曇っていたせいで暗い写真となってしまいましたが、晴れてさえいればかなり映えますよ(肉眼だともっときれいに感じましたし)。

こちらは現存三階櫓の二の丸辰巳櫓。
辰巳櫓

こちらは、5つ残る城門から、唯一実戦経験があるという、北門(亀甲門)です。
亀甲門

説明板

で、三の丸追手門で比較すると・・・
三の丸追手門
・・・まあ、普通の人にとっては間違い探しみたいなレベルなぐらいにそっくりです。

ちなみに、水堀と紅葉。
紅葉
桜とともに紅葉(こちらはややマイナーですが)も有名です。
・・・秋の日本海側は天候が不順になりやすいので・・・

弘前は津軽三味線を聴きながら飲めるお店もあるので、これも含めてお勧めですよ。

羽前山形城三の丸

本丸、二の丸などはこちらをご覧ください。

近世城郭であっても、なかなか三の丸(最外郭)の遺構が残っているのは珍しい部類です。
外郭の遺構が確認できるものは、山形城だけでなく、江戸城、姫路城、仙台城、萩城、鹿児島城などがあります。しかし、これらは石垣や水堀など、撤去が大変、利用価値がある、といったものですが、「土塁と空掘」というすぐに壊されてもおかしくないものが残っているのは山形城以外に知っているものはありません(米沢城近辺にそれらしきものはありますが、それが米沢城の土塁跡かどうか事実確認ができてません)。
・・・他にもあるのを知っている方は教えてください。お願いしますm(_ _)m

それはさておき、写真でご紹介(雪がありますのはご容赦を)。

まず、「山交ビル第一駐車場7階」からの眺め。
三の丸の土塁を駐車場7階から1
写真の中断左端あたりに民家がありますが、このあたりが山形城三の丸の十日町口の枡形にあたります。
この写真ではわかりにくいのですが、その民家の手前で土塁が直角に折れていて、外枡形を形成していたことがわかります。

これを土塁のほぼ直上から見た写真がこれです。
ホテルリモージュの北側客室からの撮影です。
ホテルから
写真右手側のやや凹んでいるあたりが空掘跡です。
駐車場やなにかで埋め戻されて、かつての堀幅はわかりませんが、よくぞ県庁所在地の駅前という、遺構が生き延びるのには最悪な地勢でありながら、わずかでもよく残っていたものです。

ただ、残念なのは間近に見ることができないこと。
周囲は私有地で囲まれていて近づくのははばかられるし、三の丸土塁は登ることが禁止されています。
唯一、はっきりと空掘跡を確認できるのはホテルリモージュさんの北側客室(居酒屋の「三の丸」と、スナックもそうか)だけじゃないかな・・・

真正面から見据えても巨大。
土塁を下から
写真の右側、ベランダ状のものがあるのがホテルリモージュさん。
ベランダは3階部分です。

すべての土塁がこの高さであったかどうかはわかりませんが、おおよそ5~6mの土塁が延々と続いた光景を想像すると圧巻です。

陸奥根城

ジャンル:中世平(崖端)城
所在地 :青森県八戸市大字根城字東構35-1
お勧め度:★★★★★
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車場は無料で、博物館と共用ですが20台くらいは停められます。
登城日 :(忘れた)年(秋頃)月、ほか数回
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
平城なので省略
遺跡地図

【遺構】
復元を含めて、空掘、土塁、郭跡が遺っています。
あと、「伝」元城門が何度かの移築のもとに公園の門としてあります。

【来歴】
詳しくはWikipediaをご覧いただくのがいいかと(手抜きですいませんw)。

【写真】
駐車場は博物館と共用となっておりまして、博物館の正面にはこのお方がおいでになっております。
南部師行公像
一般的な知名度は低めですが、南北朝時代の初期に北畠顕家に従い各地で奮戦した武将です。
南部氏は本姓は源氏、そして血筋も新羅三郎義光流ということで、武家の名族です。

そして、城址公園の入り口となっているのは「伝」根城移築門です。
城門
根城廃城後、八戸城(南部盛岡藩の支藩の城)に東門として移築された後、安政6(西暦1857)年に台風で倒壊し、家臣木幡家の門として再生され、その後にまた根城に移築されたということです。

城内はきれいに整備され、地域の方の散歩ルート、憩いの場となっています。
中館から入り口方面を見たところ

主郭周辺以外の堀は調査後に埋め戻されています。
空堀
発掘調査の結果、見事な薬研堀だったそうです。

中館跡には主郭の復元模型があります。
主郭の復元模型

こちらは復元整備された主郭を中館から見たところです。
中館から主郭を見たところ
中世らしさが感じられる、誠実な復元光景です。

城門をくぐると、「中世の館」と命名された、主殿の想像復元の建物を中心としていくつか建物があります。
aomori-nejo-chuden.jpg
主殿の中は史料館となっています。
ちなみに、主郭内は有料です。

復元された厩。
厩

復元された鍛冶工房。
鍛冶工房

説明

・・・ここまでもすばらしいのですが、城郭ファンなら主郭の後ろが見所と思います。
一番上の写真、全体図でいう「西ノ沢」です。
西ノ沢1
土塁、空堀がきっちりと確認できます。

この上の写真の中央から右手側にあるのがこの小郭です。
西ノ沢2

この小郭の上から空堀を見下ろすと、けっこう迫力がでます。
西ノ沢3

そして、背後を振り返ると、これまた圧巻な光景が!
西ノ沢4
いやいや、立派なものです。

さすが「三日月の円くなるまで南部領」と謡われるほど権勢を誇った一族の城ですね。
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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