岩代日和田背戸館

ジャンル:中世山(丘)城
所在地 :福島県郡山市日和田町日和田 ・ 背戸 にまたがる一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :★☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。
安積伊東氏の一族の居城と思われる日和田館(JR東北本線日和田駅北西)の支城と考えてよさそうです。

【縄張】
平野部の独立丘陵を利用した城館で、八幡神社境内の郭(主郭)とその南にある尾根状の地形に設けられた郭の2郭構造と思われます。
八幡神社の周囲には腰郭跡と考えてよさそうな地形があり、後世の改変はあるにせよ、ある程度の形状を残しているものと思います。

【写真】
目指す目標はJR東北本線日和田駅です。
日和田駅
駅の背後に写っている木立が日和田館。

日和田駅前に整備されている日和田公民館前から遺跡指定範囲を見上げたところ。
日和田公民館前から見た日和田背戸館

登り口は3つありますが、私は一番駅に近い公民館の東側の道路から登りました。
入り口
この道を車で登って八幡神社まで行けそうですが、迷惑かなと思い徒歩で登ることにしました。

途中にある畑。
郭跡を思わせる畑
後世の改変もされているようですが、腰郭跡ではないでしょうか。

そのまま登ると八幡神社へ続く階段がありました。
八幡神社境内に登る階段
階段の折れ曲がり具合からして、もしかするとかつての登城道を改変したものかもしれません。

私はここで右手に折れて車道を進みました。
途中で日和田館方面を見ると、日和田館が藪城であることが確認できます。
八幡神社境内下から見た日和田館

また、途中にはさきほどの郭跡らしき畑方面から登ってこれる道がついていました。
登城道
これが本来の大手道なのかもしれません。

そのまま八幡神社を西側から回り込むように登っていくと八幡神社に到着です。
神社への通路

境内の全景。
主郭

八幡神社。
八幡神社

境内の東端。
主郭の東縁
ここが境内の中でも明らかに一段低くなっており、虎口郭のようなものだったのでしょうか。

東側から登ってくる神社参道。
参道

途中にある鳥居のところに平場があるのように見えたので下ってみました。
右手(南側)。
腰郭

左手(北側)
腰郭
間違いなく腰郭でしょうね。

目立つ遺構こそないものの、城館の形状が分かる程度には遺されている城館です。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

岩代郡山館

ジャンル:中世平(台)城
所在地 :福島県郡山市桜木 ・ 西ノ内 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。
築城主は安積伊東氏の一族とは思われます。
戦国時代末期には郡山太郎右衛門尉頼祐(朝祐)の居城であり、郡山合戦の際には郡山氏は伊達方についています。
廃城時期は不明ですが、豊臣秀吉による伊達氏転封後~元和の一国一城令発令時であろうことは間違いないと思います。
なお、郡山館は「郡山城」とも呼称され、また、その位置は現JR郡山駅西口の稲荷館跡を比定する説もあるそうです。

【縄張】
市街化のため遺構が消滅しているため不明。
付近一帯はなだらかな台地を形成しており、北を流れる逢瀬川によってできた崖と、東~南を流れる支流(現在せせらぎこみちとして整備されている小河川)によって分断されている地形を利用した城館であったと思われます。

【写真】
郡山館は駐車するスペースがないので、これまで付近を訪問することはあっても写真を撮影するのが困難でした。
遺構もないし・・・と後回しにしていたのですが、遺跡指定範囲の西側に大きな道路が建設されている、ということで時間をかけてみることにしました。

まずは遺跡指定範囲のほぼ中心にあるセブンイレブン郡山桜木1丁目店の駐車場から東西を見たところ。
セブンイレブンから見た東方向。
セブンイレブンの東方向
同じく西方向。
セブンイレブンの西方向
ものの見事に何もありません。

特に遺構がないことは分っていたので、地形から私が個人的に想定している主郭跡を目指しました。
セブンイレブンの西側の小路を進んだところから見た墓地。
崖端にある墓地
民家敷地が間にあるので、こちらからはよく確認できません。

西側に回り込んでみたところ。
崖端にある墓地
こちらには墓地の駐車場がありますが、市内中心部ということもあり通りすがりに眺めたところでパス。
また、この道路はかつての堀跡でしょうか。

逢瀬川の堤防上の道(細いです。すれ違い困難)に下り、墓地を見上げたところ。
墓地直下の切岸
下は藪ですが、切り立った自然の断崖を利用したことは明白です。

さらに東側から見上げたところ。
墓地直下の切岸
こちらは人の手がだいぶ入っているようで、崩落防止工事のほか、地形も変更されている可能性があります。

やはり、個人的にはこの台地上の墓地及び民家あたりに主郭があったのだろうと推定します。

また、土塁跡があるということで目指してみましたが、こちらは道が細い住宅街を縫って進むか、うねめ通り沿いの商店の駐車場をお借りするかしかありません。
うねめ通りは車通りが多く、路上で停車するのはかなり迷惑ですし。

買い物をする用事があれば駐車場をお借りできたのですが、特にほしいものがなかったので車で近づいくことにしました。
遺跡指定範囲の東端部分
写真左側に写っているのがせせらぎこみち。
このあたりが遺跡指定範囲の東端にあたります。
土塁があるらしいあたりは竹が繁茂していてよく分かりません。

昔から市街地化されている場所だけに、遺構が消滅するのは仕方ないことですね。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

岩代権官館×2

ジャンル:中世平城
所在地 :
 権官館(東)=福島県郡山市片平町舘堀 の一部
 権官館(西)=福島県郡山市片平町若宮裏 ・ 石切場 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
両館とも築城時期・築城主とも不明。
「城跡ほっつき歩記」さんの情報によると、権官太夫なる人物の居館ではないか、とのことです(こちらこちらを参照してください)。

【縄張】
両館とも遺構は消滅しているため不明。

【写真】
まずは東側の権官館から。
権官館(東)の全景
遺跡指定範囲は基盤整備によってきれいに水田になっています。
現状を見ると、写真右奥の少々高くなっている台地の部分の方が城館跡に見えてしまいます。
ちなみに、写真左手に写っている林のあたりが権官館(西)の南縁あたりになります。

何もないので、権官館(西)に向かうついでに上の写真の右端の林のあたりに行ってみました。
権官館(東)の北側にある神社
そこはわずかな台地になっており、神社が祀られていたのでとりあえず入ってみました。

で、ふと気づいたのが水路。
神社の境内から権官館(東)の北西辺方向をみたところ
この写真だけでは分かりにくいのでもう一枚。
神社裏手の水路
これは神社の裏手になります。
神社のある台地は小さく、わざわざ水路を開削する必要があるのか、と疑問がわきました。
神社の東側を迂回してもそんなに距離が延びるわけでもないのです。

で、個人的仮説ですが、「遺跡指定範囲がずれてる」ということはないだろうか、ということです。
仮説
赤く染まっているのが遺跡指定範囲で、赤線で囲まれているのが個人的仮設。
※あくまで個人的な、現況地形から妄想しただけの仮説です。

以上、特に見るものもないので権官館(西)に移動しました。
・・・が、こちらも特になにもありません。
権官館(西)の中心部あたり
林となっているあたりが権官館(西)の東西の中心あたり。
民家敷地のように見えるのでこれ以上近づくのはあきらめました。

遺跡指定範囲の南縁あたりにある土塁に見える地形。
権官館(西)の南縁あたり
こちらはあろうことか幼稚園という、このご時世不審人物扱いされやすい施設のすぐそば。
ということでこちらも近づくのはあきらめました。

まったく同じ名前の遺跡名の城館が並んでおり、どう解釈したらいいのか・・・
1 「どちらかが古館」説・・・こういう場合、伝承でも「こっちが古館で・・・」と残るはずなので、可能性は低め。
2 「両館は2つで1つ」説・・・距離的になくもない気がしますが、両館とも小規模なので離れ気味な気がします。
3 「本家の館と分家の館」説・・・あり得る気がしますが、近すぎる気もします。
・・・よく分かりませんw

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

岩代鹿島館(片平)+中村館

ジャンル:中世平城
所在地 :
 鹿島館=福島県郡山市片平町鹿島 の一部
 中村館=福島県郡山市片平町菱池 の一部
お勧め度:★★☆☆☆(鹿島館)
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
両館とも築城時期・築城主とも不明。
距離・位置関係からして片平城の支城であることは間違いないだろうと思います。

【縄張】
鹿島館は奇跡といっていいぐらいきれいに外郭線が残っています。
もちろん、後の世の改変もあるでしょうが、外郭線は完存だと思っています。
ただ、内部の郭がどのように区切られていたかは現状地形から察するしかありません。
おおよそ3~4郭程度の構造と思われます。

中村館は完全に消滅しているので不明。

【写真】
鹿島館を一周してみました。
まずは南東側から。
南東側から見たところ
写真中央奥に、低くなっている腰郭状の郭が見えます。

北東側。
北東側から見たところ
写真中央あたりは破壊されたのか、手前側に向かって傾斜しています。
また、外郭線は横矢を入れるように折れ曲がった構造であることから、小さいながらも戦国時代に、日々激化する戦に備えた城館として存在していたと思われます。

西側。
西側から見たところ
土橋らしき農道とともに、西に突き出た郭の構造があります。
角馬出というわけではないでしょうから、虎口郭ではないでしょうか。

土橋から内部に入ってみました。
内部
内部も周囲と同様、完全に農地化されています。
しかし、かつての郭の名残を残すように段差が見受けられます。
それがそのまま郭の形状を示すものとは言えないでしょうけれど。

強風にやられつつ、中村館に移動しました。
跡形もない中村館
鹿島館とは対照的に基盤整備できれいさっぱり消え去っています。

鹿島館は平城で基盤整備の真っただ中にあり、また小規模城館ながら外郭線の形状をよく残す稀有な事例だと思います。
普通は中村館ののように消え去るものですから。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

岩代片平城(2回目)(2/2)

※岩代片平城(1回目)はこちら
※岩代広修寺館+片平城(2回目)(1/2)はこちら

【続き】
登り切って虎口から見た西の郭の全景。
西の郭全景
ほぼ全周を土塁が巡っていたことが分かります。

西の郭の北西隅あたりには「西の郭」を示す標識看板とかがり火のオブジェがありました。
西の郭にある標識とオブジェ
ぱっと見た時はかがり火を焚いたイベントでもやったのかと思いましたが、構造上、現代感覚では火を使うのがはばかられるものだったので、ただのオブジェでしょう。

西の郭の北東隅近くには北に渡る土橋があります。
土橋

土橋西側の堀。
土橋西側の堀
藪のため深さが分かりにくいのが残念です。
最低でもおおよそ2m程度の深さはあると思います。

視線を反対側に移しまして、櫓台(もしくは見張郭とでも呼びましょうか)と思われる愛宕神社方向。
櫓台と思われるあ愛宕神社の遠景
中央部がかなり破壊されていることがよく分かります。
この削り取られたところに大規模な郭(上館と中館の中心となる主郭)があったのではないか、と想像はしますが、かつての地形が分からないので不明です。

土橋を渡り、主郭の全景。
主郭の全景
西の郭よりも広そうですが、北側が藪なのでよく分かりません。

上の写真右端近くに写っている木柱は城址標柱でした。
主郭跡に設置された城址碑
手書き文字で手作り感満載です。

また、振り返って土橋方向を見ると、土橋脇には片平城址随一と思われる高さの土塁があります。
土橋脇の土塁

主郭の藪近くまで進むと、鳥居があるのに気づいたのでそちらを見てみました。
主郭跡に祀られた神社(祠)

さて、藪から先はどうなっているのかな、と確認しましたが、かつて畑だったころの畝の痕跡以外は何もありません。
主郭の藪
藪がすごくて先に進めないのでここで引き返しました。

下ってきてそのまま移動しようと思いましたが、ふと大手道と呼ばれる道が西に折れている先を見たところ。
西の郭南麓の畑
郭状の地形に見えます。
かつての地形を残しているようには見えず、その高低差がかつての姿を思い起こさせる程度です。

東の下館も一体的に使用された城館ですから、けっこう広い城館です。
概略図とかでも描いた看板があれば分かりやすいのですが・・・

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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