磐城白川城(2回目)

※1回目はこちら

ジャンル:中世山城
所在地 :福島県白河市藤沢山 を含む一帯
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :主郭麓の城址碑付近などに駐車可能
登城日 :2017年2月
城館位置:GoogleMap

だいぶ前に訪問した白川城。
主郭だけを見て帰ってきて、その後に調べたらずいぶんと城域が広いことが分かり、いつかリベンジを! と思っていました。
やっとタイミングができての訪問です。

・・・ですが、残念なおしらせ・・・
現在の主郭入り口
除染作業ならしょうがないか・・・

それでは、と主郭周囲の確認だけでもしていきましょう。
主郭と南郭(仮称)を隔てている堀切です。
主郭と南郭(仮称)を隔てる堀切
反対側(東側)から。
主郭と南郭(仮称)を隔てる堀切

まずは南郭(仮称)から確認です。
南郭(仮称)
南北に細長く、とてもじゃありませんが建物は建てられないでしょう。
いいところ櫓ぐらいでしょうか。
南から攻め入られた時にここから矢を射かけるような使い方が想定されます。

しかも、先はすぐ藪。
あきらめました。

一応、ここから搦手郭(仮称)が見下ろせたので写真を撮りましたが、木が邪魔でした。
南郭(仮称)から搦手郭(仮称)を見下ろしたところ

次は東側を見に行きます。
主郭附属の小郭
小郭があり、写真中央付近には城戸口があったと思われる地形があります。
ここは武者溜のような役割が想定されます。

さらにその先、東郭(仮称)を目指しますが・・・
東郭(仮称)への城内通路
こちらも藪がとおせんぼ。

それじゃあ、西は!
主郭西の城内通路。
主郭西の城内通路
重機通行による破壊はありますが、面影は十分あります。

西郭(仮称)です。
西郭(仮称)

この郭の北側には附属小郭がありました。
西郭(仮称)付属の小郭

西郭(仮称)の本体と思われる広場の先には西出丸(仮称)への道はありました。
西出丸(仮称)への城内通路
しかし、この写真よりもうちょっと進んだ先には藪が・・・

それでは北郭(仮称)を目指します。
北郭(仮称)方向
写真右手の伐採した木が置かれている場所あたりから北郭(仮称)へ行けそうでしたが・・・藪。

しょうがないので主郭北縁を。
主郭北縁
通行止めの表示自体はありませんが、常識的に、主郭に入るな、という趣旨なのは明確なのでここまででした。

やっぱり、主郭周辺以外はほとんど藪城みたいですね。
藪漕ぎ、苦手なんですよねぇ・・・
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磐城小峰城(3回目)

※磐城小峰城(1回目) はこちら
※震災被害報告 はこちら
※磐城小峰城(2回目) はこちら

ジャンル:中世平山城~近世平山城
所在地 :福島県白河市郭内ほぼ全て および大手町、本町北裏、横町、田町の一部
お勧め度:★★★★☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :城跡である城山公園の無料駐車場がたくさんあります
登城日 :2017年2月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に、この地方を領有した白河結城氏の二代目当主、結城親朝が三代目の顕朝に家督を譲った後、小峰城を築城して別家となる小峰氏を興したのが始まりのようです。
白河結城氏は有力な武家でしたが、このような二頭体制といえるような構造を抱えた結果、内訌が絶えない一族だったようです。
白川城を治めた惣領家と小峰城を治めた別家が争った結果、惣領家が小峰城を治めた別家に代わるという、大きな変動もありました(勢力減退の最大の理由)。
そして、このような一族は力を失っていくことになり、徐々にその領地を減らしていくことになりました(磐城天王館もご参照ください)。
その後、豊臣秀吉の奥州仕置の結果、白河結城氏は改易となり、その領地は会津を拠点とした蒲生氏~上杉氏~蒲生氏が治めることとなりました。
その後、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で磐城棚倉から移封されると、彼によって近世的な、総石垣造の小峰城が誕生しました。
その後も藩主の変遷はありましたが、戊辰戦争の頃にはここは幕領(二本松藩預かり)となっていました。
守備兵は抗戦したものの、激戦の末に城の大部分は焼け落ちました。

【縄張】
南北に延びる連郭式(本丸、二の丸、三の丸などの郭が並ぶような配置)の平山城です。
そして、城下町主要部を堀で囲む総構えを持っていました。
初期と思われる町割
※磐城小峰城(2回目)から再掲の初期の町割図

【写真】
今回は、外郭線が一部あるとのことで、そちらを見に行ってきました。

まずは大手門近くの土塁跡です。
場所はこの地図写真の中央あたり。
土塁付近の地図

現況はこうです。
大手門近くの土塁跡
民有地だから仕方がありませんが、ブロック塀のせいでよく分かりません。
低い部分は堀跡でしょうね。

もう一つは小峰城西南の外門、道場門です。
場所は、JR白河駅と白河市立図書館の間、「白河駅前イベント広場」の西隣です。

現在の展示状況の概略図。
発掘結果

発掘調査の記録写真。
発掘時の記録写真

江戸時代の古絵図。
道場門の古絵図

現況。
東から見た状況。
道場門を東から

南から。
道場門を南から

西から
道場門を西から

道場門付近から御三階を見上げた写真。
道場門付近からの御三階(昼)
ついでに夜景
道場門付近からの御三階(夜)
スマホなので、イマイチなのはご勘弁をm(_ _)m

残念ながら、うっかり移築太鼓櫓(現在は茶室とのこと。リンク先は白河市役所HP)を見るのを忘れました。
城山公園の東側、福島地裁白河支部の北にあります。

岩代牛ヶ城(大里城) 2/2

※岩代牛ヶ城(大里城) 1/2はこちら

ここからがこの城館の中心部となります。
主要部
左手が主郭、正面奥が二の郭。
手前正面はおそらく武者溜や桝形に相当するような郭でしょう。

まずは主郭から。
主郭
南北に長く、東西幅は狭い地形です。

東~南には腰郭のような、一段低い地形があります。
主郭の腰郭
高低差は数十センチがいいところなので、地形の制約上腰郭のようになっているだけで主郭の一部のような気がします。

主郭から二の郭方向を見たもの。
主郭から二の郭方向
主郭と二の郭の高低差はほぼないように見受けられました。
また、主郭と二の郭を明瞭に区切った堀のようなものはありません。
わずかにへこんだ地形があるのみでした。

二の郭の南端付近から見たもの。
二の郭

上の写真の反対側(南端部)。
二の郭の南端
二の郭は全体的に遊歩道整備に伴う改変(削平)がされているので、ぱっと見、こちらの方が主郭にふさわしい印象を受けます。
面積的は二の郭の方が広いのが明確ですし。
しかし、この南端部は改変がほぼないであろうと思われますので、ここから類推するに、遊歩道整備がなければ、二の郭も主郭と同じような印象を受けたでしょう。

二の郭の標柱と歌碑。
二の郭の標柱
左手の石碑が歌碑です。
松平定信の歌、「武隈の二木の松のふりし世を問わば答えん峰の秋風」が刻まれているはずです(うっかり確認忘れw)。

さて、三の郭方向に向かうと・・・
三の郭方向
やる気減退。
道を倒木がふさいでいる・・・
よけて通れないわけでもなさそうでしたが、「ヌル系」なのでここで撤退としました。

さて、駐車場は天栄村ふるさと伝承館のものをお借りしたし、何か牛ヶ城関係のものでもあるかも、とお邪魔しました(入館無料。署名のみ)。
が・・・
これぐらいしか見当たらず、多くは民俗資料でした。
城館リスト

天栄村周囲の主要城館地図

城館は広いのですが、普通に歩き回れるのは南東方向から北西方向に抜ける遊歩道のみと感じました。
遺構を壊さない程度に、散策しやすいコースがあればなあ・・・
せめて、コース整備がなくても縄張図の掲示があれば・・・と思った城館でした。

岩代牛ヶ城(大里城) 1/2

※岩代牛ヶ城(大里城) 2/2はこちら

ジャンル:中世山城(根小屋式山城)
所在地 :福島県岩瀬郡天栄村大里向館
お勧め度:★★★☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :城跡の北西にある「天栄村ふるさと伝承館」の駐車場をお借りします
登城日 :2017年2月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
詳細な築城時期は調べられませんでしたが、応仁の乱後(時の奥羽もきな臭くなってきた西暦1500年あたり)のようです。
築城者も私の推測ですが、須賀川二階堂氏の一族矢田野氏によるもので間違いないだろうと思います。

地域的に有名な戦いがこの城で行われました。
説明板
・・・が、この戦いは不毛なものとなってしまいました。
この戦いの後に行われた豊臣秀吉の奥州仕置です。

伊達勢の攻勢を防ぎ切った矢田野氏ですが、本懐であったろう二階堂家再興と旧領全回復どころか、すべての所領を失い佐竹氏家臣となりました(この戦いの前年、奥羽惣無事令発令後に伊達政宗によって二階堂氏は滅亡。矢田野氏は領地の多くを失いながらもかろうじて伊達家家臣として生き延びていたそうです)。

また、撤退した伊達氏は奥羽惣無事令に違反して攻め取った40万石規模(現福島県会津地方と中通地方南部)の領地を失う、というものでした。ただし、この措置は命令違反でありながら旧領以外を没収するのみという、寛大な配慮を得たと考えていいと思います(伊達政宗にとっては、失ったものは石高以上に大きすぎるでしょうが)。

その結果、この辺りは奥羽の抑えとして会津に転封となった蒲生氏郷の領地となりました。

【縄張】
あまり技巧的とは言えない、中世山城です。
主郭と二の郭を峰の頂部に築き、その周囲に郭を配置しています。
今回見た範囲では、北西方向の山稜と区切る空堀と、主郭北西部にある郭に土塁があるほかは、郭を構成する平場と切岸が確認されただけです。
また、「西小屋」という地域が隣接していることから、このあたりに居館や家臣屋敷があったのではないかと思います。

と、言葉で書いても分かりにくいので、またも「余湖くんのお城のページ」のお力をお借りします。
鳥瞰図
※引用元はこちら

【写真】
説明板の脇に登城道があります。
大手口方面入り口
しかし、こちらには駐車場がないため、こちらに車を停めました。
伝承館
天栄村ふるさと伝承館です。

ここの南側(正面入り口向かって右手)に搦手方面への入り口があります。
伝承館脇、搦手方面の入り口

さて、降りていく途中、遺跡指定範囲外と思われる場所にも人工的な平場がありました。
遺跡指定範囲外の平場
さて・・・?
植林するためとも思えないし、これを遺構と考えると、城域が広くなりすぎて当時の情勢を考えると維持しきれないのではないかとも思いますし・・・
不明です。

さて、坂を下りきると空堀があります。
北方向
空堀(北方向)

南方向
空堀(南方向)

この空堀を過ぎると、ほぼ一直線に主要部に向けて登っていきます。
城内通路

この道の左右にも郭があります。
空堀のすぐ上にある、削平の甘い腰郭。
腰郭

主郭直下の郭。
主郭北西にある郭
土塁を伴っています。

続く

磐城天王館

ジャンル:中世山(丘)城
所在地 :福島県白河市表郷河東田 天王下と屋敷 にまたがる一部
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :ありません
登城日 :2017年2月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板

【縄張】
現状確認できるものは白幡神社がある平場、これが主郭でしょう。
その南にある郭(南郭と仮に呼びます)が、二の郭か三の郭。
反対の北にある郭(北郭と仮に呼びます)が、同様に二の郭か三の郭。
そして主郭の東西に腰郭があります。

【写真】
近くまで行って驚きました。
遠景
神社周辺以外はほとんど木が伐採されていました。
発掘調査でもするのかな?

ちなみに、上の写真はこの案内表示の近くから。
案内標識
う~ん、これには気づかないな、普通はw

白幡神社の参道を使って登りました。
参道入り口

参道
途中の平場はかつての腰郭の一部だと思われます。

すぐに主郭に到着。
主郭

見て回ると、神社の背後、北側に直線的な微高地があります。
建物の背後には土塁のような微高地
土塁の残滓ではないかと思います。

東西両側には腰郭が配置されていました。
西
西の腰郭


東の腰郭

北側には大きな郭があります。
北郭北側

北郭東側
1枚目写真下側の土塁の切れ目は虎口であったのかどうかは不明ですが、重機を入れるために破壊されています。

また、南側にも郭があります。
南郭

この城館、遺構部分で確認できる範囲ながら、郭の一つ一つの規模が大きいのが特徴でしょうか。
白河結城氏の棚倉方面奪還のための策源地としてはたしかにうってつけでしょう。
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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