磐城鬼越館

ジャンル:中世山(丘)城
所在地 : 福島県相馬市日下石鬼越迫 ・ 堂田 にまたがる一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年12月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
現地神社境内にある神社の由緒によれば以下のとおり。
由緒
鬼越館に関する部分は「四.社地名」にわずかに記載されているだけですが。

築城時期・築城主とも不明。
元岩城氏家臣であった佐藤好信(戦国時代後期の武将)と長男・清信の持ち城と思われます。
佐藤好信は相馬氏に召し抱えられたものの、讒言によって知行地の一部を失い失意のうちに死去したとされます。
清信は相馬氏に仕え続けたようなので、関ケ原合戦後の相馬氏改易(実際に領地引渡し前に撤回)以降に廃城となったと思われます。
ちなみに伊達氏との国境に近い小斎城(柴小屋館)城代となっていた二男の為信はその恨みからか相馬氏から離反し、伊達氏に仕えました。

【縄張】
またも余湖さんのお力をお借りします。
余湖さんの鳥瞰図
※出展元はこちら

なお、佐藤伊勢館(後日ご紹介予定)という城館が東へ4㎞ほどの沿岸部にあり、こちらが佐藤氏の本城に当たるのではないかと個人的には思います。

【写真】
余湖さんは遺跡指定範囲の南側から直登されたようですが、余湖さんの鳥瞰図に描かれているとおり、神社の参道があります。
館主要部への入り口
途中まではきちんとした道はついておらず、あぜ道を進むことにはなりますが(国道6号線沿いの民家から続く道はありますが、通っていいものかどうかは不明)。

で、その前に、この場所からわずかに東に行ったところにも用水路に架かる小さな橋があったので、そちらを確認に行きました。
遺跡指定範囲の北西部

ほとんど藪だらけでしたが、人が通れる分だけ草が刈られていたので進むと、数十㎝の段差がありました。
郭跡を思わせる段差
自然地形なのか人工的に加工したものかは不明ながら、どことなく郭を思わせる形状ではあります。

その先には一部だけ藪化していない平場があります。
北西部にある郭跡らしき地形
藪の中ものぞき込んでみたのですが、細長い地形に見えたので腰郭のようなものだったのではないかと思われます。

さて、さきほどの神社へ向かうあぜ道に戻って先に進みますと、1基だけぽつんとお墓がありました。
あぜ道脇にある墓地
これも腰郭の一部なのかもしれません。
※お墓は「佐藤家」とは書かれていなかったので、佐藤好信との関係性は不明です。

お墓を過ぎて南に進んで行くとUターンするようになっていて赤い鳥居があります。
館入り口にある鳥居
ここらあたりから神社境内までは、軽トラックや小型重機が通れるように直線的な参道が作られています。

赤い鳥居を過ぎると間もなくルートが東側に折れ、あとは二の郭跡である神社境内まで一直線です。
参道

写真奥にある塗装のない鳥居へ向かう途中、ふと左手(北側)を見ると、こんな地形がありました。
横堀のような地形
写真だとよく分からない藪にしか写らないのですが、そのまま東方向に進んでいっているように見えました。

その反対側は、といいますと・・・
腰郭か
堀のような地形が続いているわけではありませんが、低いところに腰郭らしき地形があります。

鳥居あたりに二の郭を囲むように腰郭があるはずなのですが、藪で参道から道をそれることができません。
二の郭直下

鳥居脇の公衆トイレの後ろを、参道を少し進んで見下ろしたところ。
腰郭
藪ですが腰郭のようなものが見えます。

そのまま参道を登りきると二の郭跡である神社境内に到着です。
二の郭

あまり広くないのですが、余湖さんの鳥瞰図から考えると、東側の半分ぐらいは藪に覆われてしまったようです。
主郭方向
この先に主郭があるはずなんですが、この状態だったのでここで断念しました。

北側斜面を見下ろしてみると、腰郭がありました。
腰郭
当然のようにこちらも藪。

遺跡指定範囲の西側半分の、そのまた境内と参道付近以外は完全に藪城でした。
藪さえなければいいんですけどねぇ・・・
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磐城小野日向館

ジャンル:中世平(崖端)城
所在地 :福島県相馬市小野中平 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :遺跡指定範囲内にある墓地駐車場をお借りするしかありません(2台程度)
登城日 :2017年12月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。
相馬家臣に小野備前なる人物が見えるそうなので、その一族の居館と思われます。

【縄張】
現状地形からすると、墓地及び神社境内が主郭、その北側の一段低い農地・宅地が二の郭ではないかと思います。

【写真】
東側から遺跡指定範囲を見たところ。
東から見た遠景
東側から見ると山城のように見えますが、西側から見ると平城。
いわゆる崖端城です。

道路を登っていくと見えてくるのが根渡大明神と書かれた石柱とともに鳥居があります。
鳥居
車で来た場合、道路が細く路上駐車は無理なので先に行くしかありません。

ほんのわずか先に墓地があり、こちらに車を停めさせていただきました。
主郭と思われる墓地

墓地の右手にはさきほどの神社(根渡神社?)が見えます。
主郭の虎口と思われる神社(墓地から見たところ)
遺跡指定範囲と現状地形を合わせて考えると、墓地が主郭、境内が主郭に付属する小郭か虎口郭か、といったところでしょうか。

北側は一段低くなっており、このあたりが二の郭に当たるのではないかと思います。
GoogleMapストリートビュー
※写真をなくしてしまったため、ストリートビューから。

特にこれといった遺構はない城館でした。

磐城黒木城

ジャンル:中世平城
所在地 :福島県相馬市黒木西舘 ・ 中樋 にまたがる大部分
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :遺跡指定範囲内にある墓地駐車場をお借りするしかありません
登城日 :2017年12月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
現地に説明板が設置されているのですが、もうほとんど消えてしまって判読不能です。
説明板

福田古館と同様、南北朝期、北朝方だった相馬氏の抑えとして白河結城氏(もしくは北畠顕家)の家臣、黒木氏が入部した際に築かれた城館です。
相馬氏が黒木氏を駆逐したのち、いずれかの時期に廃城になったと思われますが、いつの頃かは不明です。

【縄張】
またも余湖さんのお力をお借りします。
余湖さんの鳥瞰図
※出展元はこちら

【写真】
遺跡指定範囲内にある墓地。
墓地
写真左手が土塁のように見えます。
北側の方は幅が広くなっているので、土塁+櫓台なのかもしれません。

その墓地の西側。
墓地の西側の堀跡らしき地形
断言はできませんが、堀らしき地形です。

さて、GoogleMapの地図表示では墓地から西に抜ける道があるように描かれていますが、ただのあぜ道です。
あぜ道を進んで説明板にたどり着いたのち、説明板の背後を見ると地蔵尊が・・・
説明板の背後にある地蔵尊
どうしてここにこんなものがあるんでしょうね?

それはさておき、この地蔵尊のすぐ脇に堀があります。
堀跡の西辺
幅はさほどではありませんが、深さは少なく見積もっても2mほどでしょうか。

この堀に沿って北に向かう農道を進んでいくと
北に進む農道
堀の北辺への屈曲があります。
堀跡の西辺から北辺

ここで視線を左手(北側)に向けると、堀なのか、腰郭なのか微妙な地形があります。
堀のような地形

堀の北辺沿いにも農道がありますので、そのまま堀に並行して進みますと農道がわずかに北に折れ、堀と農道との間に土塁状の地形が出てきます。
中土塁か

視線を左手(北側)に向けると、写真奥に土塁のようなものが見えます。
土塁と堀跡のような地形
その手前は郭跡か、それとも堀が埋められたものなのか・・・
堀にしては幅がありすぎる気がしますが、断言はできません。

そこから先に進み、木立に囲まれた視界が開けた辺りの右手(南側)には堀が折れたかのような地形があります。
堀のような地形
このあたりが余湖さんの鳥瞰図に描かれているAの虎口と思われます。

ここから先、遺跡指定範囲の東側は民家が多いためこれ以上の探索は行っていません。

西館(二の郭か)の北~西あたりはそこそこ遺構が残っているので、中世末頃に廃城になった小規模平城としてはよく遺構が残っている部類の城館と言えます。

磐城新城山館+大坪館

ジャンル:中世山(丘)城(新城山館)、中世平城(大坪館)
所在地 :
 新城山館=福島県相馬市大坪中谷地 ・ 塚部新城下 にまたがる一部
 大坪館=福島県相馬市大坪御所宮 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年12月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
新城山館についてネットで拾った情報では、古代の城を相馬氏が利用したとも、館を築こうとしたが完成前に放棄されたとも言われていますが、築城時期・築城主とも不明。

大坪館については、築城時期・築城主とも不明ですが、おそらく相馬氏家臣大坪勘解由の居館であろうと想像できます。

【縄張】
新城山館については内部に入ることができず不明。
大坪館は基盤整備で完全消滅のため不明。

【写真】
まずは新城山館。
新城山館を西から
比高はせいぜい10~20mぐらいでしょうか。
ただ、付近に山はないので目立つといえば目立ちます。

ぐるっと一周しましたが、北側から東側は取り付けそうな場所には民家があるので無理。
南側は水田があり、南面は上の写真のとおりの藪。
唯一取り付けそうな場所が西端なのですが・・・
新城山館の西から取り付けそうな場所
藪が行く手を阻み、わずかに見える遺跡指定範囲内はただの自然の斜面で遺構は期待できそうにない・・・ということでここで断念しました。

すぐ近くの大坪館へ移動。
GoogleMapですでに期待はできないことは分かりきっていはいましたが、ここまできれいさっぱりなくなっているとやっぱりがっかりです。
大坪館のほぼ全景
堀の痕跡すら発見できずここで終了。

こんな状態ですが、こういったものも含めてのブログですのでご理解ください。

磐城新地城(蓑首城)(3/3)

※磐城新地城(蓑首城)(1/3)はこちら
※磐城新地城(蓑首城)(2/3)はこちら

【続き】
北屋形から西館に入ってきたところ。
西館全景(東端から)
西館は城館主要部で最大の広さの郭となっていますが、こちらはほぼ完全にチューリップ畑です。

西館の南辺が通路となっていて、だいたい中央部あたりで全体を撮影したところ。
西館全景(南辺中心あたりから)

上の写真の撮影位置あたりで振り返って、南側にある腰郭を見下ろしたところ。
西館南側の腰郭
杉林になっていますが、往時の形状はそのまま残されているようです。

そのまま西館の西端に進み、西側にあるはずの郭を見下ろしたところ。
西館の西にある附属郭
このあたりから東館にかけてきれいに伐採されています。

西館の北西側。
西館下(北西側)

西館の北堀。
西館の北堀(西側から)
切株、玉切りした木材や刈り払った枝葉が残されていて見た目はよくありませんが、切株は無理にしても、きれいに片付けるともっと印象良く見えると思います。

西館の西側は一段高くなっていますが、その中央部あたりがもう一段高くなっています。
西館の北半分ぐらい(西端から)
後世の改変とも思えないので、西館の中心となるような建物があった場所ではないでしょうか。

さて、入ってきた道を戻りまして、西館から見た主郭の虎口。
主郭虎口(西側)
余湖さんの鳥瞰図によると、写真左手には竪堀が落ちているはずなのですが、藪のためによく分かりません。

そのまま進むと当然ながら主郭です。
主郭全景(西側から)

土塁に沿ってまっすぐ東に進むと東側虎口になります。
そこから振り返って見た主郭全景。
主郭全景(東側から)

南側土塁の中央あたりに説明板が建てられているのですが、その脇に何が書いてあるのか全く分からない木柱がありました。
城址碑か?
たぶん、城址碑だと思うんですが、確証はありません。

西館から東館にかけての堀と腰郭あたりの杉が伐採されていたのが本当に印象的。
どういう目的かは分かりませんが、このまま城址公園の拡張整備につながることいいなぁ、と思いました。
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プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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