岩代本内館

ジャンル:古代?~中世平城
所在地 :福島県福島市本内舘 ・ 南古舘 ・ 北古舘 のほぼ全域
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :ありません
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
郭跡であるはずの八幡神社の由緒書きはこうです。
由緒
館跡と思わせる記述は一切ありません。

本内館は源頼義が築城したという伝承があるそうですが、八幡神社の由緒との絡みを考えると、ここに関東との中継や撤退路確保のためのなんらかの館(陣場)があったのかもしれません。

また、慶長6年(1601年)に戦火により社殿消失、ということですから、館として使用できるだけのものはその時点まではあったと考えられると思います。

【縄張】
不明。
遺跡指定範囲は南北400m以上、東西約200m程度という規模、現存遺構の位置を踏まえ、かつ、遺跡指定範囲全てが同一時期に城館として機能したと仮定すると、3郭構造以上であったのは間違いないと思います。

【写真】
南古舘にある八幡神社。
鳥居

八幡神社
約1000年続く由緒ある神社らしく、規模は小さいながら堂々としたものです。

神社に向かって右側(北)には盛り土がありました。
境内にある盛り土

神社の外側。
境内にある盛り土
わずかですが、境内の外の方が低いように見えました。

・・・ただ、土塁と決めつけるのはどうかな・・・
土塁だとすると、八幡神社のあった郭はかなり小規模になりそうです。
しかし、ただの境内地との境として築いたにしては厚み(幅)がある・・・
どっちなのかは判断つきません。

境内を出て、八幡神社(写真右手)と正福禪寺(同左手)の間にある道路を見たところ。
堀であったろう道路
まず間違いなく堀跡を利用した道路でしょう、これは。

そのまま西に進むと唯一の遺構である土塁が現れます。
土塁の北西隅
北西隅の部分で、厚さ、高さを重視して築かれているようなので、櫓台だったのでしょう。

そのすぐ脇には土塁の切れ目があります。
虎口か?
虎口かどうかは断言できませんが、左右の土塁の高さが大きく違っているので、たぶん虎口だと思います。

北土塁。
北土塁
高さが低くいですが、消滅した部分以外はあまり手を入れたようには見えませんので、当時もこれと大差ない高さであったろうと思います。

こちらは西土塁。
西土塁

正福禪寺の山門前の、南北に伸びている、微妙に曲がっている道路と水路。
堀であった可能性のある道路と水路
遺跡指定範囲の外郭線に沿っており、かつての堀を埋めたものではないかと思います。

北に少し離れたところにある鎌田館とセットにして訪問するといいかもしれません。
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岩代石母田城

ジャンル:中世平城
所在地 :福島県伊達郡国見町石母田舘ノ内 と 隣接する横町、荒町、樋口 の一部
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :ありません
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板

【縄張】
縄張図
※縄張図の下が北方向なのでご注意ください。

【写真】
東側と南側は無理ですが、北側と西側は外郭線上から見て回れますので、説明板付近から反時計回りにご紹介します。

北東隅の堀跡。
北外郭線
ほとんど埋められていますが、水路は堀を利用したものでしょう。

反時計回りからちょっと外れますが、北東隅から見た東の外郭線。
東外郭線
写真に写る2本の水路に挟まれたところを含むあたりが堀跡ではないか、と思います。

反時計回りに戻りまして、北外郭線。
北外郭線

主郭の東堀跡と東~北土塁。
主郭の東堀
写真中央やや左側が東堀ですが、藪だし確認しにくい。
写真右手に続くのが主郭の土塁。
最大高で4mぐらいと思われる程度に残っています。

道路・水路に従って歩いていくと西外郭線です。
西外郭線
左手に写っている主郭の土塁はまだ3m程度の高さを残しています。

しかしまあ、廃城となって400年以上経ちますのでしょうがないのでしょう、中ほどで破壊されています。
主郭西土塁の切れ目
そのかわり、その土塁の重厚さを感じることができます。

主郭内部。
西側から見た主郭内部
主郭の東土塁らしきものが見えますが、さすがに勝手に立ち入るのははばかられたので、詳細は未確認です。

その先には縄張図から見て二の郭跡と思われる場所。
二の郭内部
二の郭を二分していた土塁らしきものが見えますが、さすがに(以下同文)。

ここも西外郭線。
西外郭線

さらに南の西外郭線。
西外郭線

そこから90度ターンで南外郭線になります。
南外郭線

東側から見たところ。
南外郭線
かろうじて、水路で確認できます。

主郭内部周辺に気軽に入れればな~、と思う城館です。

岩代宮代館+足守藩瀬上陣屋

ジャンル:古代~中世平城、近世陣屋
所在地 :福島県福島市宮代鍛冶畑? 屋敷畑? 、宮代北口
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :日枝神社の脇の公園に駐車可、2~3台程度城址碑近くにあり
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

※この2つの城館はまったく関連性のないものですが、福島県の資料による位置と福島市の史料による位置が違うため、合わせて紹介します(どのような感じなのかは上記城館位置のGoogleMapへのリンクをご覧ください)。

【宮代館来歴】
前九年の役の頃、源頼義(もしくは配下の武将)によって築かれた、という伝承があるそうですが、詳細不明の城館です。

【瀬上陣屋来歴】
説明板

【宮代館・瀬上陣屋縄張】
詳細不明です。

【宮代館写真】
これが福島市が示す宮代館の南西にある日枝神社です。
日枝神社

宮代館に関するような説明板や碑などはありませんが、一揆の説明板はありました。
一揆の説明板

宮代館の所在地が宮代鍛冶畑であれば、ここが館跡のはずです。
土塁らしきものの北側

上の写真のりんご畑と神社の背後の間には、細く低い土塁らしきものがあります。
土塁か?
福島市資料によると、「土塁と堀の一部が残る」ような記載と写真があるのですが、その写真と訪問時の記憶を比べてみると、違うような・・・
でも、福島市資料には日枝神社の東側(東側だと公園)を発掘した結果、かわらけが出土した、という記載もあるし・・・
よく分かりません。

でも、もしかすると、宮代屋敷畑が正しいのかも・・・
遺構がほぼ消滅していて、歴史の表舞台に立っていない城館は悩ましいですね。

実は道を間違えてその場所に行ったんですけど、日枝神社に向かうことしか頭になくて何も見ていません(^ ^;;;A
近くに行くことがあったら確認したいと思います。

【瀬上陣屋写真】
これを見落とさなければ大丈夫ですが、住宅地の真ん中なのでナビがないとたどり着くのは大変です。
城址案内標識
猫車を押している人のあたりが駐車場になっています。

狭いですが、ここが陣屋の主要部だったのか、公園化されています。
公園として整備済み

ほぼ中央には大きな城址碑が建てられています。
城址碑

その左手(西側)には表門土台石が展示されています。
表門土台石

また、城址碑の右手背後(南東側)にはこんな窪地がありました。
かつての陣屋庭園か?
もしかするとかつての陣屋の庭園だったのかもしれません。

宮代館についてはあやふやな紹介になってしまい、すいませんでしたm(_ _)m

岩代住吉館

ジャンル:中世平城
所在地 :福島県伊達市梁川町東大枝住吉
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板

【縄張】
主郭と思われる徳本寺の境内以外は住宅や農地となっており、実際の規模、縄張構成は不明。

【写真】
徳本寺から県道320号線を挟んだ北側には幅の広い水堀が残されています。
北の水堀

その南側には土塁の痕跡が残ります。
sumiyoshitate_kitadorui.jpg

さらにこの水堀から東側にも、県道321号線で分断された水堀が残っています。
北東隅の水堀

徳本寺の山門のあたりには東側の土塁が残っています。
東の土塁

それに対して、西側は今一つはっきりとはしていません。
県道320号線の北側。
西の堀跡か?

県道320号線の南側。
西の堀跡か?

西の堀跡か?
※注:この水路はかつての堀を利用したものか、全く関係ないものなのかは不明です。

南側には食い違いの形状を感じさせる堀、土塁が残ります。
東側
南の水堀
写真奥には東側土塁が見えます。

西側
南側の土塁

徳本寺を移したことによってかつての形状をよく残すことができた城館です。

岩代塚野目城

ジャンル:古代?~中世平城
所在地 :福島県伊達郡国見町塚野目舘前 および 正法寺 にまたがる一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年3月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。
伝説では、奥羽州藤原氏の家臣であった佐藤元治(基治の誤記? 基治であれば、大鳥城主で義経従者として付き従った佐藤兄弟の父親)の家臣、塚之目太郎正則が築城主ではないかと思われます。
文献資料がある中では、鎌倉時代から戦国時代までは存続していたと思われます。
廃城時期は伊達氏転封に伴うものではないかと個人的には考えます。

【縄張】
現存しているのは主郭のみ。

以下、まほろんの発掘調査結果資料から転載。
「塚野目城は、東西125m×南北90mの中世城館です。周囲には、堀跡と最大高5mの土塁がめぐっています。城の南側には、枡形虎口の原型と思われる遺構が確認できる」

実際にはその周囲を含む城域を持っていたと思われますが、農地化のため確認できません。

【写真】
この城址碑が目印です。
城址碑

城址碑は削られてしまった土塁の上に建てられています。
東側土塁の残滓

東~北側の堀。
東~北堀
だいぶ埋められて浅くはなっていますが、明瞭に堀であることを確認することができます。

主郭内部。
主郭
内部はきれいに果樹園(国見町の名産の柿のようです)になっています。

北堀。
北堀

北~西側の堀。
北~西堀と土塁の残滓
写真中央やや右寄りの藪の中には土塁の残欠があるようですが、とても確認できません。

桝形虎口が主郭南側の中央あたりにあるのですが・・・
畑のため近くまで行くことははばかられたので未確認です。
遠目では分かりませんでした。
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント= https://twitter.com/jcrsrchr

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