陸中柳之御所

ジャンル:古代居館(平城)
所在地 :岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所 一帯
お勧め度:★★★☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :柳之御所資料館に20台くらいは停められたはず
登城日 :2016年11月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
いわずと知れた世界遺産、「平泉の文化遺産」を生み出した力の源泉、奥州藤原氏の「御所」です。
藤原清衡~基衡~秀衡と続き、四代目泰衡の時に源頼朝の軍勢によって滅ぼされるまで、支配地で産出した金などの地下資源を活用して豪壮な館、寺院を建立し、「平泉文化」を形成しました。
特に三代目秀衡の時には鎮守府将軍となるほどの権勢を誇りました。
その秀衡の居所と政治・軍事の中心として機能したのが柳之御所です。

【縄張】
柳之御所隣接となる施設の配置はこの写真のとおり。
屋外展示模型
柳之御所の背後(東側)を北上川が流れ、北上川沿い以外は堀を掘って防御し、さらには二重堀の外堀代わりとして「猫間が渕」と呼ばれる低地(もしかすると、当時は低湿地かもしれません)を防御する。
北は高舘(最終的には源義経の居所)が守り、南は伽羅之御所が広がる。
猫間が渕の西には無量光院があり、有事にはおそらくここも陣地とする想定ではないでしょうか。
戦国期以降の平城に比べれば原始的な構造ですが、最悪の場合も想定した堅固な作りといえると思います。

御所内部は以下のような発掘結果が柳之御所資料館に展示されていました。
御所発掘調査結果
こちらの構造は、まさしく古代城柵の政庁というイメージのとおりです。
なお、赤く表示されている建物は、大きさや配置から主要部と想定されているものです。

【写真】
ちなみに、柳之御所は入場時間の制限があります。
入場可能時間

柳之御所資料館の裏手(西側)にある堀
復元堀
単純に直線でなく、屈曲させていることが分かります。
横矢のような意図的な屈曲か、当時の地形上の問題かは不明です。

上の堀の道路を挟んで北側にある堀。
復元堀
こちらも屈曲を見せています。
なお、写真奥側の土手は北上川の川堤。
堤の上は国道4号線が走っています。

柳之御所の南端部から北側を撮影。
南端部から
舗装されている部分は、発掘調査の結果、通路だったようです。
その脇に掘られている溝も、発掘調査の結果のもののようです。

柳之御所の北端部から南側を撮影。
北端部から
幅がありすぎたので、無理やり手動で写真連結しました。

政庁らしさを一番感じるのは、縄張で掲載した発掘調査結果の図面の中で最大の建物である東館と、それをそのまま縮小したような西館です。
東館は完全に昼の政治の舞台ではないでしょうか。
西館は夜の政治の舞台、宴席を設ける場所ではないでしょうか。
だって・・・
池
西館の南端あたりから南南西にあるのが、この池。
おそらく、当時はこの池を中心に意匠を凝らした庭園があったのでしょう。
朝廷からの使者や配下の者たちのねぎらいのための宴席を持つにふさわしいものと思われます。

逆に、頼朝勢に攻められて滅亡時の混乱を感じさせるのがこれ。
井戸跡

井戸の説明

まだまだ調査が続くようですので、また訪れたいと思います。
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陸中寺林城

ジャンル:中世平城
所在地 :岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54(光林寺
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :お寺の駐車場をお借りするしかありません
登城日 :2016年9月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
弘安2年(1279年)築城で、光林寺の縁起によれば、河野伊予守通俊が築城主ではないかと思われます。
その次男である通重は京都在番中に一遍上人に帰依し、通重が領地に戻る際に上人もこの地を訪れ、寺林城に光林寺を開山しました。
ただし、城地すべてが寺院となったかどうかは不明で、豊臣秀吉の奥州仕置の際には浅野六兵衛の陣屋となっています。
おそらくは、両方が並立していたのではないか、と思われます(未確認)。

【縄張】
不明。
光林寺は確実に城館の主要部。
北にある福祉施設や林一帯も城地だったことを示す公的な遺跡の範囲図を見た記憶があるのですが、どこにやったかのか不明。

【写真】
駐車場脇の門から入りました。
光林寺の外門
冠木門なのは城館跡であることを意識してでしょうか?
また、参道もちょっと不自然というか、なぜに鍵型?
かつての城館の名残でしょうか・・・

参道脇にある腰掛石
腰掛石

腰掛石の説明

山門も立派です。
山門

その脇には農業用水路があります。
山門脇の水路
かつての堀跡を利用したものでしょうか?

本堂裏手は少々高くなっており、築山のように利用されています。
本堂裏手にある築山
おそらくは、この高くなっている場所あたりが主郭だった可能性が考えられます。

その北側には土塁らしき痕跡がありました。
土塁らしき痕跡
写真左手に林に透けて見えるのが福祉施設(ルンビニー苑)

施設側から。
北にある福祉施設

また、寺院東側にも土塁の痕跡がありました。
土塁の痕跡
写真中央部やや右手に土塁が欠けているところがありますが、のちの破壊か虎口の痕跡かは不明です。

横から見るとこんな感じです。
土塁らしき痕跡

ほぼ寺院であり、かすかな痕跡しか確認できませんでしたが、あとで調べたら、光林寺の西側の方に空堀や二重堀があるらしい・・・
近くに行ったら見てみたいと思います。


おまけ
象
光林寺北側の土塁の近くになぜかありましたw

陸中花巻城

ジャンル:古代?~近世平山(台)城
所在地 :岩手県花巻市城内 一帯
お勧め度:★★★☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :見つけられませんでした
登城日 :2016年5月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
城全体の説明

本丸を中心とした説明
説明文が2つあったので両方掲載。

2つを合わせると、
1.安倍氏時代の城(柵か砦という方が正しい?)があったかもしれない。
2.奥州藤原氏討伐後、稗貫氏が居城(本城)とする。
3.いつの頃かは不明ながら、本城を移す(鎌倉時代末~南北朝期の戦乱の時代、防御力を検討した結果、本城としては放棄した可能性が考えられる)。
4.その後は瑞興寺(南北朝合一後しばらく後。城郭寺院(城郭としての性格が強いが、平時は寺院)の可能性も考えられる)。
5.豊臣秀吉の奥州仕置の結果、この地方を領した南部信直の家臣北秀愛(きた ひでちか)が瑞興寺を移して花巻城を築城。
・・・ということでしょうか?

※江戸時代初期の南部政直と柏山伊勢の話は、Wikipediaをご覧ください。

【縄張】
城外北側に設置されていた説明板の古絵図
古絵図
南北が上下逆なので要注意です。

復元西御門近くに設置されていた説明板の縄張図
縄張図
こちらは北が上です。

【写真】
城外北側から本丸方向を見たもの。
城外北側からの様子
※古絵図、縄張図とも郭の名称が記載されていませんが、それに相対すると思われるものを「本丸」「二の丸」「三の丸」として記載しています。

西御門の脇(西側)には空堀があります。
空堀
縄張図では水堀になっていますが、現状は水はなさそうでした(藪のため未確認)。

復元西御門
復元西御門
ここをくぐると、本丸内部です。
本丸内部
ほぼ全周に土塁が残り、東側突端(写真中央のやや左)には菱櫓跡があります。
菱櫓跡

本丸中央南側には井戸跡があります。
井戸

その東側には二の丸に通じる門跡と土橋があります。
御台所前御門
門の説明。
御台所御門説明

この土橋の両側には堀跡があります。
西側は縄張図どおり水堀
水堀

東側は縄張図と違い、空堀
空堀

そのまま武徳殿の脇を抜けて南側に進んでいくと幼稚園があります。
その背後には土塁が残っていました。
土塁
※あえて言うまでもありませんが、幼稚園です。勝手に立ち入らないでください。

花巻市役所のすぐそばには鐘楼があります。
鐘楼
ただし、この鐘楼自体は昭和に入っての復元物。
ただ、時鐘は当初盛岡城に設置されたものが、盛岡城には小さすぎるとして移されたものです。
普段は直接見ることはできません。

なお、円通寺(花巻城址から南へ直線距離で約3㎞)には円城寺門が移築され現存しているようです。

陸中丸子館

ジャンル:中世平(崖端)城
所在地 :岩手県北上市下鬼柳15地割 一帯
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :見つけられませんでした
登城日 :2016年9月
城館位置:GoogleMap

※最初の記事は縄張図の上が北だとばかり思ってたのでミス。書き直しました。

【来歴】
説明板

【縄張】
縄張図
規模は小さく、北を流れる本郷川を背後とした城館です。
主郭よりも三の郭のほうが高い土地にある構造というのも珍しいものです。
しかも、このあたりを押さえていたのは和賀氏(築城主か、城主とされている鬼柳氏も和賀氏の支族)で、主城は二子城(二子城築城前はどこが主城かは不明ながら、岩崎城の可能性もあります)とすれば、この縄張がどういう考えなのか・・・
二子城は北ですからね。
南に対する前線基地や防備という発想ではなく、まったく別の意味があるのかもしれません。

【写真】
縄張図にもあるとおり、館の中央を国道4号線が貫いています。

三の郭方面
主郭の東半分

主郭西側半分と二の郭の南側には空堀が巡っているのが確認できます。
主郭北側にある空堀

主郭北側にある空堀
残念ながら、近づくには民有地(重機レンタル会社の敷地のようで、重機を駐車していました)で、進入禁止のロープが張ってあったので断念。

また、駐車場がなかったので、すぐ確認できる範囲だけを見て退散しました。
藪を払って、2~3台でいいから駐車場があれば・・・

なお、評価は中に入って確認できなかったので★1個としましたが、藪がなくて、中には入れれば2~3個はつけられそうな印象です。

【反省】
・・・急いだため、縄張図をよく確認していなかった・・・_(:□ 」∠)_
またいかなければ・・・

陸中岩崎城

ジャンル:中世山城(根小屋式山城)
所在地 :岩手県北上市和賀町岩崎18地割90 一帯(岩崎城運動公園を含む)
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :二の郭(現地説明板では「三の丸」が駐車場となっていると思われます。
登城日 :2016年5月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板
・・・ちょっと郭配置の説明がどうも納得できません。
通常、麓の城主館を二の丸とは呼ばず、根小屋・根古屋・館などと呼びます。
なので、GoogleMap上は私なりの呼び方に修正しています。

【縄張】
説明板から読み取れる内容及び現地からすると、GoogleMap上にマッピングしたとおりになります。

【写真】
高速秋田道や周辺からはこんなものが見えていました。
今は亡き模擬天守
いつの間にやら見当たらなくなって、久しぶりの訪問となりました。

現在は取り壊され、こんなものが建てられていました。
模擬天守跡地に建つステージ
おそらく、イベント用のステージだと思います。
・・・模擬天守は東日本大震災以前から立ち入り禁止になっていましたから、防災上の観点で撤去されたのでしょう。

主郭内部はけっこう広い。
主郭

そして、土塁もちょっとだけ残っています。
主郭の桝形

その外側(西側)には結構深い空堀となっています。
空堀
草木が生い茂ってしまっていて、写真では確認しにくい状況ですが。

現地説明板でいう「三の丸」
三の郭
結構広く、土塁も比較的良好に残っています。

現地説明板でいう「三の丸」の虎口
三の郭の虎口

現地説明板でいう「組小路(武家屋敷)」
組小路とされる場所
こちらは公園整備で壊滅ですね。
・・・本当に武家屋敷?
城主居館(現地説明板でいう「二の丸」)よりも、武家屋敷が高い位置にあるというのは常識的にはありえない。
家臣が城主を見下ろすような場所には武家屋敷はないでしょう・・・

現地説明板の再検証が必要だと思います。
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント= https://twitter.com/jcrsrchr

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