祝「続日本の100名城」選定結果発表!

(公財)日本城郭協会から、「続日本の100名城」(リンク先は公式HP)が発表されました。

個人的には「微妙な城」もあるのですが・・・
まあ、こういうのはお祭りであって、あれこれと苦言を呈することは無粋だし、素直に楽しめればそれでいいのではないかと思います。
城館ファンとしては、こういった情報に接した人が「これが続100名城なら、うちの地域の城も!!」と頑張って整備してくれるとうれしいです(他力本願w)

・・・「遺跡保全と訪問しやすさが優秀な日本の100名城(既選定名城除く)」なんてのがあると、私みたいなヌル系城館ファンにはうれしいwww
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磐城南湖公園

ジャンル:公園
住所  :福島県白河市南湖 地内
電話番号:0248-22-1147 (電話番号は白河観光物産協会)
営業時間:公園として開放部分は制限なし
定休日 :公園としての開放部分は特になし
駐車場 :250台
HP   :こちら(白川観光物産協会HP内)

【来歴】
この「南湖」自体は江戸時代後期に農業用ため池として造られたものですが、同時に周囲に散策路などを設けて公園化されたものです。
大名家などの個人所有の庭園ではなく、身分を問わずに解放された、日本最古の公園です。
説明板
老中首座を解任された松平定信が、自領開発にその能力全てをつぎ込んだと想像できる時期に完成しています。

松平定信(リンク先はWikipedia)

【マップ】
地図

地図

【写真】
そういえば行ったことないな、と訪れたのが南湖公園。
全景
冬の時期で水は少ないし、少々寂しい風景ですが、特に春の桜秋の紅葉は見事なようです(リンク先はそれぞれGoogle画像検索結果)。

付随している施設はいくつかあります。

池泉回遊式日本庭園の翠楽苑。
翠楽苑
入場は有料ですが、中でお茶と和菓子が楽しめる茶室もあるそうです。

明治記念館・藤田記念博物館。
記念館
こちらも有料のようですが、この日は開館しているようには見えませんでした。

説明板

南湖神社前に建つ松平定信立像。
定信立像

定信像といえば、翠楽苑前にもありました。
定信座像
こちらは座像。

こちらの座像の脇には略記が彫られた記念碑もあります。
定信記念碑

そして・・・(続くw)

羽前十五里ヶ原合戦古戦場

分類  :古戦場・墳墓
所在地 :山形県鶴岡市友江中野(GoogleMap
駐車場 :ありません。国道112号線は交通量がそれなりにありますので、国道上の路上駐車は危険です。
HP   :こちらとかこちら、またはWikipedia

十五里ヶ原合戦は天正16年(1588年)8月に起きた戦いですが、全国的にはとてもマイナーな合戦であり、国家の歴史の帰趨には直接的な影響があったとは言えない戦いでした。
現在の山形県庄内地域の領有をかけた戦いであり、十五里ヶ原合戦だけに着目すれば、上杉景勝が最上義光を庄内地方から追い出した戦い、という一言で終わりますが、なかなかそう単純なものではありませんでした。
この戦いにおいて、上杉氏と最上氏の悪感情が固定化し、また、豊臣秀吉がその前年に出した奥羽惣無事令に反した結果となった戦いながら、最上氏の訴えが認められない結果となり、のちに最上氏が徳川氏に近づいていく理由の一つとなったものと考えられます。

合戦前後を大ざっぱにまとめると以下のとおりになります。
1 この地を掌中にしていた大宝寺氏(武藤氏)は家中の争いが絶えず、また、現在の山形県内陸部中心を勢力下においた最上義光が庄内地方への進出を目指していた。
2 大宝寺氏は上杉家臣本庄繁長を頼り対抗しようとした(その結果、本城繁長の子、義勝を養子とした)
3 その理由は不明ながら、重心であった東禅寺義長が謀反を起こし、当主大宝寺義氏、跡を継いだ弟の義興を殺害、その結果、東禅寺氏は最上義光の配下として庄内を治めた。
4 このとき、養子となっていた義勝は本庄繁長の元に身を寄せ、再起を図る。
5 伊達政宗が大崎義隆(現在の宮城県大崎市周辺を勢力下としていた奥州探題)との争いの際、本家筋であり、また、妻の実家とされる大崎氏に味方するため、最上義光はそちらに釘付けとなる。
6 それを見た本城繁長が庄内へ侵攻。東禅寺氏は野戦での決戦を決め、十五里ヶ原合戦勃発
説明板
7 奥羽惣無事令発令後でありながら、豊臣政権の采配により、最上氏領ではなく大宝寺氏領(実質上杉氏領)となる。

今残る史跡は東禅寺義長の弟、右馬頭勝正の墳墓、4基の首塚、手引地蔵などです。

説明板のすぐ左手には勝正の墳墓への入り口があります。
墳墓入り口

その先には墳墓、というか祠のようなものがあります。
右馬頭墳墓

また、説明板の右手に進むと、首塚などがあります。
首塚周辺

首塚近景
首塚
雑草に覆われ、こじんまりとしたものですが、戦後430年ほど経過しているにもかかわらず、地域の方の手によるものでしょうか、手入れをされているのが分かります。

さらに国道112号線をわずかに西側に進むと手引地蔵が祀られています。
手引地蔵

手引地蔵
こちらも丁寧に祀られています。

非常に見つけにくい史跡ですが、興味のある方はぜひどうぞ。
また、寒くなると、この近くにある大山上池・下池(ラムサール条約登録湿地)では、たくさんの渡り鳥を見ることができます。


P.S.
討ち死にした東禅寺勝正が佩刀していた刀は、この合戦の結果、本庄繁長の所有するところとなり、のちに「本庄正宗」と呼ばれ、銘刀正宗の中での第一とされました。その後、徳川将軍家に献上され、徳川家の家宝の一つとなりました。
時代は下り、第二次世界大戦後、アメリカ軍(一応正確には国連軍)に占領された際、アメリカ兵に持ち去られ、今は行方知れずといわれています。


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さらにP.S.
この合戦には悪次郎こと池田盛周も東禅寺側(つまりは最上氏側)として参戦していたようです。
ここから推察できるのは、大宝寺氏は主な家臣団から完全に見捨てられていた、ということです。

山形県内陸部と、山形県庄内地方は交通が難しく、同じ日本海沿岸部である上杉氏の援軍が来る方がややたやすい(「やや」というのは、新潟県北部と山形県庄内地方の間も山と切り立った沿岸部がありますので)。
しかも、越後一国の上杉氏と、出羽の一部しか治めていない最上氏。

大宝寺氏のバックには本庄繁長、つまりは上杉景勝。
それでも逆らった、もしくは逆らわざるを得なかっただけの事情があったのでしょう。

羽後天鷺城(観光施設)+天鷺村

ジャンル:現代平城・移設古民家
所在地 :秋田県由利本荘市岩城亀田亀田町亀田町92-2
電話番号:0120-742-526
営業時間:9:00~17:00(3/1~10/31。11/1~2/28は16:00まで)
定休日:12/29~1/3
駐車場 :20台くらいはあったはず
HP   :こちら

亀田シリーズもこれでラスト。
天鷺城と天鷺村。
外観
この場所に天守どころか城館すらあった記録はどこにもない、いわゆる模擬城郭。
・・・まあ、模擬天守の中ではけっこうがんばっている感はあります。
プロポーション的には面白みはないけど、まとまってて嫌いじゃないです。

看板代わりの石碑
石碑
でた! 「前川盛太郎」!!
・・・この人、城を3つも作ってるですよね・・・いくらかかったんだろ?

1階はレストランと物販。
2階は会議室みないなの。
3階は資料展示。
4階は展望室。
だいたいこんな構造です。

このときは、大河ドラマ「真田丸」をやってましたので、こんな展示もありました。
御田の方の肖像

御田の方の系図

さて、展望台からの南方面の眺め。
赤尾津城方面
赤尾津城天鷺ワイン城亀田城がきれいに一枚に収まりましたw

ところで、分類を「歴史四方山」にしたのは理由がありまして。
天鷺村を上から
天鷺村です。
古民家を集めて移築したものののようです。
入場料大人410円(こちらは有料)

いろいろあるので、武家屋敷を。
鵜沼家
・・・やっぱり、2万石の大名では、家老を出すような名門でも50石か・・・

玄関。
鵜沼家玄関
表玄関なはずですが、ずいぶん質素な作りです。

でも、中には立派な部屋もありました。
鵜沼家内部
この辺が武士としての見栄なんでしょうね。

「岩手県盛岡市」盛岡バスセンター

岩手県盛岡市中ノ橋通1丁目9−22にある、いや、間もなく「あった」になってしまうバスセンターです。
2016年9月30日に建物は閉鎖され、2016年中に取り壊される予定です。
外観
昭和の時代を支えた建物ですから、一度は見てみないと、と思い、ちょっと寄ってみました。

この盛岡バスセンター(リンク先はWikipedia)、1960年(昭和35年)に自動車ターミナル法適用第1号施設として開業したものです。
盛岡市内の交通渋滞が深刻化してきたため、バスターミナルを設置することによって渋滞緩和を図ったものでした。
しかし、運行本数の増加とバスの大型化が進むとバスセンター内に収容できない路線が発生し、近隣に設けられたバスセンター名義のバス停が増え、その後はバス需要の減少と建物の老朽化のため、取り壊しが決定されました。

中ノ橋通から入っていくと、すぐ左手には時刻表と乗車券売り場がありました。
時刻表

時刻表

その先には待合室(というかスペース?)があります。
待合室
ランドセルが置いてありました。
おそらく、岩手大学の附属小学校とかかな?

そのまままっすぐ進むと、残っているお店は2軒のみ。
手前の時計屋さんと奥の立ち食いそば屋さんです。
ちなみに、このまま左手に行くとバス停です。
バス停への出入り口

その先にはバス停がいくつかあり、乗降車、転回、待機をしているバスがいます。
バス停

元に戻りまして、センター内奥に進むと「南部そば 盛岡バスセンター店」となります。
南部そば
おそらく、最初は立ち食いそば・うどんのお店だったんでしょうが・・・
おにぎりはともかく、ラーメン、カレー、はては餃子まで出す、なくすには惜しすぎるお店になってしまったようです。

残念ながら、実食はしていません。
翌朝でいいや、と思ったら、土日の営業開始時間が11時でした(;д;)
さすがに、11時までは待つことができず、お店にいたおばちゃんに「11時からですよねぇ・・・?」と声をかけましたが、忙しそうにしていたので無理を言うこともできず、退散いたしました。

まさに、「一期一会」
逃せば一生で会えないかもしれない、ということを実感しました。

・・・どこかで復活しないかな・・・
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

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