羽後平沢館+鴻ノ巣館

ジャンル:中世平山城(平沢館)、中世山城(鴻ノ巣館)
所在地 :
 平沢館=秋田県にかほ市平沢坂ノ下 の一部
 鴻ノ巣館=秋田県にかほ市平沢団子坂 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :平沢館はなし。鴻ノ巣館は墓地駐車場が利用可能
登城日 :2018年1月
城館位置:
 平沢館=GoogleMap
 鴻ノ巣館=GoogleMap

【来歴】
両館とも、築城時期・築城主とも不明。
戦国時代末までにはこのあたりは仁賀保氏の勢力圏内であったはずですので、当時の仁賀保氏の本城、山根館の支城であったろうと思います。

【縄張】
両館とも開発のため遺構が残っていないため不明。

【写真】
平沢館の遺跡指定範囲の南東部の台地。
遺跡指定範囲南東部
写真左手奥に見える小丘陵が仁賀保陣屋です。

このあたりは住宅地であまり見るものはありません。
とりあえず、遺跡指定範囲の中心にある最高所を目指しました。
主郭らしき場所(墓地)
かなり改変されていますが、主郭らしい感じがします。
写真右手に写っている階段から墓地に入ってみました。
主郭らしき場所の内部(墓地)
往時の地形からどれだけ改変されたかは分かりませんが、この墓地が一体的に郭として機能していたとすれば、主郭を営むことは可能だと思います。

墓地の北側には安楽寺があります。
安楽寺への道
下りて行ってみてもよかったのですが、遺構は期待できないのでここで引き返しました。

平沢館は江戸時代は仁賀保陣屋がおかれ、近世から仁賀保の中心部であったわけですから、開発で消滅するのも致し方ないのでしょう。

さて、ちょっと車で移動して、今度は鴻ノ巣館です。
山稜の突端
山稜から西に張り出した台地上が主要部と思われます。
なお、下の平場も遺跡指定範囲に含まれています。

道路を挟んだ反対側(南側)。
南の外郭線
写真右手の谷を外郭線として利用したと思われます。

ヘアピンカーブを2回曲がって、遺跡指定範囲の中心あたり。
中心部
きれいさっぱり何もありません。
写真左手奥に土塁状のものがありますが、遺構の復元?
多分違うと思いますけど。

視線を右(南側)に向けると、道路で分断されたであろう地形。
道路によって分断された郭の一部か
独立した郭に見えますが、道路建設のせいでしょう。

ぐるっと踵を返して遺跡指定範囲の西端に向かってみました。
北西部

墓地公園の西端。
高速道路建設で削り取られたところ
高速道路建設で削られて道が途切れてしまっています。
オカルトには詳しくないのですが、こういうのって縁起が悪いんじゃなのかな?

その脇には郭跡のある程度は利用しているであろう展望スペースがあります。
郭跡を利用したと思われる公園部

一気に遺跡指定範囲の東端に行ってみました。
遺跡指定範囲の東端
地図によるとこの細い道が遺跡指定範囲の東のラインあたりです。
堀切があったのではないか、と予想はしますが、そんな雰囲気は一切ありません。

その反対側には何かの門があります。
何かの門
何か、といえば墓地公園の入り口の門には違いありませんが、もしかしてかつての虎口ではないでしょうか、と勝手に期待。

その先は・・・
門から先を見たところ
なんとなくですが、城館っぽい雰囲気を感じます。

見下ろしてみると、やはり相当改変されたようでよく分かりませんが、城内通路を踏襲した歩道だと思われます。
見下ろしたところ

鴻ノ巣館はわずかながら城館の雰囲気を残しながらも、明瞭な遺構がないのが残念でした。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

羽後千石家陣屋

ジャンル:近世陣屋
所在地 :秋田県にかほ市平沢前谷地 の一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年1月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
塩越城の説明書きのとおり、由利十二頭の一家、仁賀保氏は関ケ原の合戦の時に東軍方に加わっており、当地が最上氏の所領となった際には常陸国武田(現:茨城県ひたちなか市武田)に転封となりました。

その後、最上氏が改易された際には仁賀保氏が旧領に加増転封され、一万石の大名家となりました。
しかし、当主挙誠(たかのぶ または きよしげ)が死去する際、長男良俊に七千石、二男誠政(しげまさ)に二千石、三男誠次(しげつぐ)に一千石、というように3人に分知し、それぞれ七千石家、二千石家、千石家と通称されました。
その後長男良俊は嫡子のないまま死去して七千石家は断絶しましたが、二千石家と千石家は共同で仁賀保陣屋を置いて領地を治めました(ただし、それぞれの当主は旗本として江戸在府)。

時は流れ、江戸時代も後期の頃の天保年間、二千石家代官と千石家代官が不仲となり、千石家は袂を分かって当地に陣屋を築きました。
しかし、そう長くこの状態は続かず、千石家の代官死去に伴い両家は和解。
千石家はその陣屋を廃止し、元通り仁賀保陣屋で領地経営を行うようになりました。

【縄張】
遺跡指定範囲から判断するに、単郭構造だと思われます。
陣屋が置かれた小丘陵は頂部が大日神社の境内地となっており、こちらが遺跡指定範囲から外れている以上、そこは陣屋敷地とならなかったと思われます。

【写真】
西側からの遠景。
西からの遠景
この写真で見える左右の麓(北側と南側)どちらからでも登ることが可能です。

陣屋の南にある腰郭のような地形。
腰郭らしき地形
遺跡指定範囲に入るか入らないか微妙な場所ですが、小さい陣屋ながら体裁を整えるために腰郭を配してもおかしくないと思います。
腰郭とは呼ばないとしても、厩を置いたのかもしれません。

陣屋の土塁のアップ。
土塁の厚さ、高さ
自然に崩れた部分もあるでしょうが、厚さ、高さともほぼ原形をとどめているのではないでしょうか。

陣屋内部を上から。
陣屋内部
急ごしらえで短期間しか利用されず、また、千石というあまり位として高くない旗本の陣屋(実質は代官屋敷)ですからあまり広くはありません。

遺跡指定範囲から外れますが、頂部を目指してみました。
頂部への道
ここは陣屋を築いたときに削り残して南側の土塁替わりであったろう部分を削って、津波発生時の避難通路として使えるよう拡幅したのでしょう。

実際に、削ったのは最近であることがよく分かります。
頂部への道の開削で削られた箇所

登りきって(というほどの高さでもありませんが)、西端にある石碑。
丘陵頂部の石碑
「金毘羅大権現」「天明三年」と明記されています。
陣屋築造前に祀られたものです。

頂部の平場が開けている場所。
丘陵頂部の祠群
このような小さな祠がいくつも祀られており、地域の信仰を集めた場所であることがよく分かります。
もしもこの陣屋が幕末まで存続したとしても、これらを遷座して陣屋を拡張することは難しかったでしょうね。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

羽後黒川館

ジャンル:中世平山城
所在地 :秋田県にかほ市黒川八幡 の一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :遺跡指定範囲の北辺にほど近い場所に農業車両の駐車用スペースがありますので、農繁期でなければお借りして問題ないと思います。
登城日 :2018年1月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。

秋田の中世を歩く」さんによると、仁賀保氏の重臣であった黒川氏の居館であろうとのことです。
なお、「秋田の中世を歩く」さんはこのあたりの低地は象潟地震(1804年)で海底が隆起したものではないか、と考えておられたようですが、象潟が潟湖として描かれている古絵図でも「黒川」と明記されて陸地として描かれています。
つまり、このあたりも隆起はしましたが、中世においても陸地であったことは間違いないでしょう。

【縄張】
ある程度往時の姿をとどめていると思われる北東端の小丘陵以外は完全に基盤整備で消滅しています。
小丘陵は最高所がある程度の広さを持っていることから主郭として機能するのではないかと思いました。
畑となっている南西側を観察する限り、この最高所の周囲にいくつかの腰郭を伴っていたのではないかと思います。

【写真】
近くから撮影した遺跡指定範囲の全景。
近景
写真左手の小丘陵が主郭ではないかとにらんでいるところ。
その小丘陵の右手に広がる水田が平地部。

小丘陵の周囲はほぼ全周水路で囲まれています。
堀跡を利用した水路か
私はかつての堀を利用したものではないかとにらんでいます。

これが小丘陵頂部へ続く道。
主郭と思われる最高所への通路
津波発生時の避難場所にでもなっているのでしょうか?

階段を登って行って、腰郭と思われる南西麓にある畑を見下ろしたところ。
腰郭を利用した畑か
最初に見た時は深く考えませんでしたが、石積に使うのにちょうどよい石が散見されることから、もしかするとかつての黒川館は低い石積を伴う城館だったのではないでしょうか。

その上にももう一段腰郭と思われる細長い平場があります。
主郭直下の腰郭か
ここも石がごろごろしています。
主郭直下の腰郭らしきところのアップ

主郭と思われる最高所の全景。
主郭と思われる最高所の全景

まっすぐ進んでいくと、藪になっているところがわずかに高く段差がつけられているように見えます。
段差と石
ここにも石積にちょうどよさそうな石があります。
現在草が刈り払われているところは主郭の前庭のようなものなのではないでしょうか。

また、この場所の南北には腰郭らしき地形が残っています。
北側。
主郭らしきところの北側の腰郭らしき地形

南側。
主郭らしきところの南側の腰郭らしき地形

これ以上は藪でどうしようもなかったので、この小丘陵を反時計回りに回ってみました。
東~北側は竹の浸食がひどい状態ですが、時々のぞき込んでみると腰郭らしき地形がみられます。
腰郭か

こんな土塁のような地形もありました。
土塁や虎口にも見える地形
竹藪の中に延びるように土塁らしき盛り上がりがあり、そこに水路のような通路のような切れ目があります。
もしかすると虎口なのかもしれません。
虎口だとすれば、竹藪の外周にもかつては土塁があったのではないでしょうか。

小丘陵の北東端から主郭らしき方向を見上げたところ。
小丘陵の北東端
麓部は、地図上では遺跡指定範囲から外れていますが、郭跡に見えて仕方ありません。
また、中腹辺りには腰郭らしき地形が見えます。

西側から主郭らしきところを見上げたところ。
主郭らしきところを西から見上げたところ
こちら側は急な斜面のためでしょうか、腰郭のような地形はありませんが、石がごろごろしているので地震などによって崩れた可能性も考えられます。

小丘陵がこの城館の主要部であると私は思いますが、何の確証もありません。
藪のせいで確認できないところが多いのですが、城址碑ぐらいはあってもよさそうな城館です。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

羽後待居館+赤石館

ジャンル:中世平城
所在地 :
 待居館=秋田県にかほ市樋目野待居 および周囲
 赤石館=秋田県にかほ市金浦石廻 ・ 川向 にまたがる一部
お勧め度:★☆☆☆☆(待居館)
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年1月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
待居館
説明書き

赤石館
築城時期・築城主とも不明。
南西にある老人ホーム「赤石館」の立地場所はこの赤石館とは無関係と思われます。

【縄張】
両館とも開発が進んだため確認できません。

【写真】
待居館を南西方向からアプローチしたところ。
待居館の近景(南西から)
この写真を撮影した時点では全く期待しておりませんでした。
しかし、写真中央やや左の木立の付近まで進むと城址標柱がありました。
城址標柱

このあたりはこんな感じです。
稲荷神社付近
石垣は完全に後世の改変でしょうが、城館の一部らしい感じは残っています。
畑は堀跡? 参道は土橋? というように見えます。

参道を進むと稲荷神社があります。
稲荷神社
この神社が付近の最高所になります。
元々こういう地形だったのか、切岸を削ったのかは不明ですが、なだらかな坂になっています。

神社裏手はこうなっていました。
稲荷神社の裏手
土塁ぐらいはあるんじゃないかと期待しましたが何もなし。

神社の南側はこんな感じにほぼ水平になっています。
稲荷神社の南側
最初は神社境内一帯が主郭でないか、と思いました。
しかし、実際に中に入ってみるとだいぶ狭い。
後世の改変で狭くなった可能性もありますが、現在の地形を基に考えると相当に狭い主郭となってしまい、館主の居館を営むには役不足と思います。

おそらくは、神社が櫓台で、南側の水平に近い場所に兵糧庫か武器庫のようなものがあったのではないでしょうか。
館主の居館は神社の北の、住宅地あたりではないか、と推測します。


赤石館は事前にGoogleMapで確認していましたが、やっぱりきれいさっぱりなくなっていました。
館の西側。
赤石館(西側)

東側。
赤石館(東側)

小規模平城はどうしても遺構が残ってくれませんねぇ・・・

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

羽後御嶽公園館

ジャンル:中世山城
所在地 :秋田県にかほ市象潟町小才の神 ・ 横山 ・ 女郎清水 にまたがる一部
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度 :★☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2018年1月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
築城時期・築城主とも不明。
遺跡名称からしても文献に登場していない城館の可能性が感じられます。

【縄張】
東西に細長く伸びた山稜を利用した城館です。
しかし、大部分が藪に覆われており構造は確認できていません。

【写真】
御嶽公園館は県道58号線で東西に分断されています。
本来は連続していたと思われますが、かなり道路建設の際に削られたようです。
北側から見た、遺跡指定範囲の東側の西部分。
東側の西部分と入り口
写真中央右手奥に写っている農道からアプローチできます。

しばし登ると分岐があります。
東側にある道の分岐
一番右の道は東北電力の鉄塔に向かう道です。
こちらが通れれば主郭にアクセスできそうですが、藪のため断念。
中央と左側の道は同じ畑までつながっています。

ここから振り返ってみた西側部分。
東側の分岐から見た西側部分
この分岐のある場所と高さがおおよそ同じようなので、おそらくはこのあたりに繋がっていたのだろうと思います。

話を戻しまして、藪でない道を登りきると畑です。
畑となっている郭跡らしき地形
印象としては地形にあまり手を加えている感じはしないので、郭跡と考えてよさそうです。

この写真の右側には、堀とも水路とも見える細長い窪地があります。
畑のすぐ東側にある、堀か水路に見える地形
畑の東側を囲うように屈曲して続いているように見えたのですが、ご覧のとおりの荒れようで先には進んでいません。

次に西側へ行ってみました。
西側の入り口
城内通路をそのまま利用した農道に見えますが、真偽のほどは定かではありません。

登りきると、こちらも畑。
下段部分。
西側の内部

上段部分。
西側の内部
この畑もあまり地形に手を入れずに使用されていたようなので、郭跡と考えてよさそうです。

以上で西側からも下りて北側に回ってみると、自然地形であろう谷があります。
西側の北にある堀代わりにしたであろう谷
だいたいこのあたりが遺跡指定範囲の北のライン付近なので、堀代わりに利用したんでしょうか。

御嶽「公園」館という名称から藪は少ないのかな、と期待しましたが、わずかな畑部分以外は藪でした。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなどヌル系ですが、それなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

完全にブログ更新通知と化してしまったTwitterアカウント=https://twitter.com/jcrsrchr

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