羽前新田楯 + 日田城の内

ジャンル:中世平城
所在地 : 山形県寒河江市日田五輪 の一部および 日田508(福正寺)を含む一帯
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年4月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
誌碑

寒河江市公式サイトの「公平氏系図」もご参照ください。
以下に一部(大部分w)を抜粋掲載しておきます。
「 日田の公平忠家に伝わる貴重な系図一巻。
 先祖の新田重通(にったしげみち)は、室町時代の中ごろ、下野(しもつけ)・都賀郡吉田館(つがのこおりよしだのたち)(現栃木県南河内町か)から日田に移る。
 なぜか山形城主最上治部大輔満氏(みつうじ)を頼って、この寒河江郷に一五〇貫の地を賜わる。
 その後五代まで最上氏に仕えたのであった。
 最上川の西部、しかも寒河江大江氏の咽(のど)もと近くに、山形最上氏の息のかかった新田氏が館を構えていたことになる。
 ところが、五代公義(きみよし)は新田加賀守を名乗り、六代公平(きみひら)も新田館(にったたち)に住み、寒河江大江氏に味方した。
 天正12年(1584年)公平の弟の義久は、寒河江方の橋間勘十郎に従い、「義光合戦(よしあきがっせん)」に参加して討死したのである。
 公平も、山形最上勢に攻められ水戸に逃がれ、後に新田館址に「公平山福正寺」という寺院を建立したと伝える。
 系図に、「氏を改め公平(こうへい)と号す」とある。」

【縄張】
不明。
新田城跡誌碑の記載に従うと、80m~90m四方のだいぶ小さな「館」となってしまいます。
鎌倉時代の「仁田氏」の居館ならこれも分かるのですが、室町期でもこの規模?

また、近くの日田城の内との関係もどうなのでしょうか。
遺跡名称から、来歴も城主も分からない、しかしそれらしき遺跡があったのは確かであろう、ということは分かります。

新田楯の一部なのか、新田氏を従わせた寒河江大江氏の家臣の城館なのか、よく分からない城館跡です。

【写真】
まずはこの案内標柱を探すのが一苦労。
案内標柱
1mに満たない高さで目立たず、しかも周囲はすれ違いが困難な細い道ですので要注意です。

ここからまっすぐ東に進むと、この写真の中央右奥の林がよく見えるようになります。
その林が白山神社(遺跡指定範囲外)で、その北側にかつての堀跡があります。
堀跡
わずかに低いさくらんぼ畑。
これがかつてここが城館であったことを示すものです。

その北側には城址碑が建てられています。
城址碑

そして、遺跡指定範囲されている場所はきれいにさくらんぼ畑となり、一切の痕跡がありません。
遺跡指定範囲の現況

さて、場所を移して(といってもすぐですが)日田城の内です。
・・・とはいっても完全に住宅地と化していて、写真撮影ポイントはありません。
なので、せめて福正寺の山門の写真だけ撮ってきました。
福正寺山門

城館探索としては面白みはないでしょうが、何かの折にでも訪問してみてください。
スポンサーサイト

羽前柴橋代官所

ジャンル:近世代官所(平城)
所在地 :山形県寒河江市柴橋 の一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年4月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
説明板

【縄張】
代官所なので単郭構成と思われます。

【写真】
現況は公園です。
現況
かつてここに代官所があったと感じさせるようなものは何も残っていません。

公園の南東隅に城址(?)碑が建てられています。
城址碑

公園内に大きな説明板がありました。
全国代官所マップですね。
代官マップ東日本

代官マップ西日本

柴橋代官所の支配した郷村があった現在の市町。
支配地がある市町
当然ながら、この全域を支配したわけではなく、虫食いのように点在した天領をまとめて支配していました。

支配していた郷村のリスト。
支配地一覧
北にある幸生銅山(さちうどうざん)の管理の方が重視されていたようです。

羽前小漆川城

ジャンル:近世平(崖端)城
所在地 :山形県西村山郡大江町左沢小漆川 の一部(※「左沢」は「あてらざわ」と読みます)
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年4月
城館位置:GoogleMap
※この城館跡は遺跡指定がなされていないようです。

【来歴】
説明板

【縄張】
概略図

【写真】
近世の城ですが、住宅地化されて遺構は壊滅しています。
内部は写真撮影しにくかったので、三の丸の東の外縁部を。
外縁部

あとは北側の外縁部くらいです。
三の丸
畑の高い部分が城内(三の丸)、低いところが城外のようです。

さて、あとあるとすれば、北西側にある巨海院(こかいいん)の山門ですね。
写真の奥に見えるのが総門で、三の丸搦手門を移築したものとされています。
巨海院総門

こちらが山門で、大手門を移築したものとされています。
巨海院山門

梁は立派ですが、城門にしては細そうな気がしました。
山門の梁

2階望楼に登る階段。
山門の階段
この急傾斜は城館っぽいですが、山門の構造からしてこうせざるを得ない、と見ることもできます。

なお、この2つの門ですが、「工法や材質などを見ると移築門ではないのではないか」、という意見もあるそうです。

奥には本堂があります。
巨海院本堂

巨海院家紋
酒井家の家紋は「丸に片喰」ですが、巨海院は丸ではなく四角ですね。
何か意味があるんでしょうが・・・分かりませんw

羽前水口楯

ジャンル:中世山城
所在地 :山形県西村山郡朝日町常盤 の一部(水口十一面観音堂の東の丘陵)
お勧め度:★★★☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :水口十一面観音堂の敷地をお借りするしかありません
登城日 :2017年4月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
不明。
しかし、ここは村山地方と置賜地方の境目にほど近い地です。
戦国時代の頃、このあたりの支配者は寒河江大江氏、のち最上氏。
対する南の置賜地方は伊達氏。
伊達氏の侵攻を見張るための城館であることは間違いありません。

【縄張】
明確には言えませんが、主郭以外の郭はあまり広さがないのですが、一応は3郭構造ではないかと思います(麓の低い部分は除く)。
ただし、どの郭も狭く、ちょっとした小屋を建てるのが限界です。
多数の腰郭を配し、北西側には三条空堀(というよりも竪堀か畝状阻塞と呼ぶべきもの)で山稜から楯を切り離しています。

【写真】
こちらが水口十一面観音堂。
東麓にある水口十一面観音堂
このあたりに車を停めさせていただき、この背後にある登城道を登ります。

高さは大したことありませんが、東面と南面(写真は最後に)は急斜面であり、要害の地であることを物語っています。
城外から見上げる

まずは一番下の腰郭。
腰郭
幅は広めで、切岸を急峻にするために相当山側を削ったであろうことが想像できます。

そこから西側に回り込むように進むと、「三条空堀」に出くわします。
三条空堀

正面から見上げるとこうなります。
三条空堀
雪のせいで深さが分かりにくいのですが、雪のないところの写真をググるとこういったもの(リンク先はGoogle画像検索結果)が出てきます。

この城館跡の最大の見どころです。

先に進みますと、推定三の郭に到着です。
推定三の郭
あまり広くないし、削平も甘め。

四阿があるところが推定二の郭です。
推定二の郭
この四阿の先には腰郭があり、主郭の東を守っています。
この写真のほぼ中央に写っている残雪部分が主郭の桝形の役割を果たしているものと思われます。

そして、これが主郭です。
主郭
ここもあまり広くなく、長期籠城には耐えられそうにありません。

全体として、いいところ数日程度の籠城しか出来なさそうな印象です(主要部には水の手になりそうなものは見当たりませんでしたし)。

さて、主要部は見たし、腰郭を散策して帰ろうと思って推定二の郭から伸びる腰郭を歩くと、なんか違和感が・・・
腰郭の盤面
肉眼でも分かりにくいのですが、等間隔に畝があるのです。
この写真でいえば、横方向にいくつも畝が作られているのです。

畑だったのかな? とも思ったのですが・・・
畑の畝は柔らかく、簡単にわからなくなってしまうものです。
また、残ったとしても、つい最近まで雑木林になっていた場所であり、木が生い茂ればこれまた簡単に崩壊するはず・・・
かなり強固に突き固めたか、固い盤面を掘り起こしたとしか思えません。

うまく写真にとれないかな、と場所を移動して郭の盤面を横から撮影してみました。
腰郭の盤面
写真中央部が一番わかりやすいと思います(それでもわかりにくい)。

畑だったとして、こんな短い畝立てを端から端までするものだろうか?
こんなにしたら播種から収穫までの農作業がしにくすぎる。
等間隔に続いていることから人工物であることはまず間違いないし・・・
そして、この構造は腰郭部すべてに施されていました。

やはり遺構でしょうか?

そういえば、椿館にもわずかながら似たようなものがありました。

知っている方、教えてくださいm(_ _)m


追記

主郭から西側を見下ろしてみると、こちらにも何かありそうです。
主郭の西
しかし、降りれそうな道はありません。

なので、麓側から回ってみました。
ここが主郭の南側になります。
主郭の南側
水路を作る際に斜面を削ったようで、かなり厳しい斜面になっています。
写真に見える、水路をまたいだ倒木の先も行ってみたのですが、同じ状況。
水路建設で道が消え去ったようです。

羽前柴橋楯

ジャンル:中世平城
所在地 :山形県寒河江市緑町 と 柴橋蛇塚 にまたがる一部
お勧め度:☆☆☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :なし
登城日 :2017年4月
城館位置:GoogleMap

【来歴】
現地碑。
碑文
とても読みにくいので、本文のみ書き起こしました。

「鎌倉時代の地頭大江氏が寒河江荘の地頭となった頃柴橋は荘園田の古い集落の一つであった。南北朝時代大江氏六代元政の弟懐廣がこの地に楯を築いたのは防衛上重要な地であったからである。この楯は懐廣を初代とし八代頼綱まで百七十余年の間続いた。頼綱は橋間功十郎と称し豪勇の誉れが高かった。大江氏十八代高基の筆頭家老となり天正十二年六月最上義光と戦って敗北。大江家と運命を共にした。茲(ここ)に大江公入部八百年にあたり当楯の由緒を記し碑文とする。」
※句読点と一か所読み仮名のみ追加

【縄張】
不明。
単郭か、輪郭式の2郭構造ではないかと想像します。

【写真】
遺構は壊滅しました。
現状
遺跡指定範囲は鉄塔より奥のさくらんぼ畑です。

来歴で掲載した城址碑と、この城址碑のみがかつての楯跡であったことを語るのみです。
城址碑
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地のおいしいものも楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。

カテゴリ
最新コメント
最新記事
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

リンク
QRコード
QR
ブログランキング
FC2 Blog Ranking

検索フォーム
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
266位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
42位
アクセスランキングを見る>>
月別アーカイブ