羽前米澤城三の丸

米澤城そのものについてはこちらをご覧ください。

数年前に見かけてずっと気になっていたのがこちら。
土塁を内側正面から

こちらは、外側から見上げたところ。
土塁を見上げた

前々から気になっていたんです。
多分土塁の残りだろうな、と。

いつの間にかこんな看板が立っていたので間違いございません。
公園予定地の看板
どう整備されるのか、期待と不安が交錯してますw

越後屋

ジャンル:食堂(ラーメンとそばがメイン)
住所  :山形県新庄市大字泉田字上村西463-4
電話番号:0233-25-4022
営業時間:未調査(多分、昼と夕方だけだと思われます)
駐車場 :5〜6台くらいかな?

10年くらい前に一度ラーメンを食べたのですが、あまりに出汁があっさりすぎて二度と訪問することはないだろう、と思ってました。

しかし、「ラーファン」なるメニューがあると聞いて久しぶりに訪問してみました。
まずは見たほうが早いので!
ラーファン
ラーメンとご飯が同居しています。
スープはカレー味。
そして、カリッと揚げられたとんかつがのってます。

まさしく、スープカレーとラーメンとカツカレーの三元配合www

で、お味ですが・・・
1 スープはこのお店の基本である「あっさり鶏出汁」がベースと思われます。チキンベースのスープカレーに非常に似ています。そんなに辛くはないので辛さが非常に苦手でなければ大丈夫です。香辛料が入っていい感じなスープですよ。
2 麺の茹で具合はばっちりですが、量が多いので、食べるのが遅い人は厳しいかも。
3 ご飯も固めの炊き具合なので、麺を優先して食べたほうがいいでしょう。ただ、スープを吸ってボリュームが増してきます。
4 ボリュームはあります。850円という値段も納得するしかありませんw
5 とんかつはかなりカリッと揚がっていますが、スープをすぐに吸ってしまうので、麺と同様、優先して食べたほうがいいです。

お薦めするのは、「早食いで、大食いで、猫舌でない人」ですかねー。
私は早食いですが、大食いでないもので残してしまいましたが、これはアリだと思いますよw

陸奥大仏ヶ鼻城

ジャンル:中世山城
所在地 :青森県弘前市石川
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :★☆☆☆☆
駐車場 :公園の駐車場が利用できます
登城日 :(忘れた)年(春)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
公園として整備されているので省略

【遺構】
だいぶ風化と人の手が入ったのか、郭跡しか確認できません。
それもどれだけ原形をとどめているのか・・・
大浦為信が南部氏から独立を勝ち取る第一歩となった戦の舞台、と考えると感慨がわいてきますけどね。

【来歴】
来歴
石川十三館=大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館

【写真】
公園に入るとすぐあるのがグラウンド、というかイベント広場かな?
グラウンド
ここはなんだったんだろう?
遺構とは関係ないのか、かつての馬場や家臣屋敷跡?

ちょと気をそがれつつもそのまま直進していくと、郭跡らしきものが。
郭跡その1

そのまま頂上にすぐに到着。
主郭か

そこから城外を眺めると・・・
城外
けっこう急斜面で、すぐ脇には外堀がわりの川があります。
まさしく後ろ堅固ですね。

その主郭下にも郭跡と思われる平場があります。
公園化した郭跡か

最高所から西に降り、公園入口に向かうルート。
かつての登城道?
幾重にも折れが連なるルートにはいくつもの石仏が・・・

入口に戻ると、ああこういうことね、と合点がいきました。
石川三十三観音

また、城内からは岩木山がきれいに見えます。
岩木山と堀越城
かなりわかりにくいですが、だいたい写真中央あたりが堀越城です。

うーん、堀越城がこれほどはっきり見えたのに、急襲を受けて落城か・・・
南部高信は油断していたのだろうか。

陸奥堀越城

ジャンル:中世平城
所在地 :青森県弘前市堀越字川合
お勧め度:★★☆☆☆
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車スペースは本丸跡の神社か、神社入口の鳥居の脇に1台くらいは停められます。
登城日 :(忘れた)年(秋)月
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
平城なので省略

【遺構】
本丸は土塁も低く、空掘も浅いながら残っています。
二の丸、三の丸は神社境内となった本丸付近のみ、本丸同様かなり風化されつつも残っています。

【来歴】
1336年(建武3年)に当地の地頭であった曾我氏によって築城されるたそうです。
しかし、南部氏の圧迫により、いつの頃か南部氏配下の大浦氏の属城となりました。
1571年(元亀2年)には大浦為信がこの城に兵を集めて石川城を急襲し津軽に覇を唱えました。
1594年(文禄3年)には大浦城より本拠をここに移したものの、事件事故が相次いだため、1611年(慶長16年)、弘前城完成と共に本拠は弘前城に移り、元和の一国一城令により廃城となりました。

【写真】
入口。鳥居の脇に城址碑もあります。
入口

入っていき、数戸の住宅を抜けて左手をみると・・・
土塁
?土塁?

・・・家に帰ってきてから調べて土塁であることを確認しました。
虎口跡だそうです。
食い違い虎口ですね。

本丸周囲には堀跡(水堀か空堀かはわかりません)があります。
堀跡
肉眼ならまだしも、写真だと草が多すぎてわかりにくいです。

本丸虎口と思われる土塁の切れ目
本丸虎口
これが虎口なら、食い違いもない、非常に古い縄張ですね。

本丸の土塁はこんな感じに遺ってます。
土塁

どうにも草の写真になってしまいましたが、いつもこんなにあるわけではないようです。
北の城塞」さんのところには草を刈った後の写真が掲載されています。

陸奥弘前城

ジャンル:近世平城
所在地 :青森県弘前市下白銀町
お勧め度:★★★★★
難易度 :☆☆☆☆☆
駐車場 :駐車場はなかったと思います。周辺の施設用の無料駐車場はありますので、それらの施設で買い物するなどしてお借りすることは可能かと思います(観光シーズン除く)。
登城日 :(忘れた)年(秋)月、ほか数回
城館位置:GoogleMap

【登城ルート】
平城なので省略
地図

【遺構】
江戸時代初期に失った天守の跡地に移築され、天守代用となった三階櫓。
本丸や各城門跡に残る石垣。
意匠は同じながら、大きさの異なる現存櫓門5棟。
わずかとはいえ残る隅櫓(3棟)。
それぞれの規模は姫路城には到底及びませんが、建築物の残存具合としてはすばらしい東北の名城です。

【来歴】
豊臣秀吉の奥州仕置の際、どさくさまぎれに南部氏から独立した大浦為信=のちに津軽改姓。
大浦城から堀越城に居城を移すものの、事件事故が相次ぎ、防備の不安もあることから弘前城を築城することにしました。
その後、為信の死去があって中断した新城建築を津軽藩二代藩主信牧(のぶひら)が引継ぎ落成。
しかし、そのわずか16年後に5層5階の天守は落雷で焼失。
約180年後に今の三階櫓が天守として築かれるまで天守がない城となりました。
幕末の動乱期には新政府方についたため、この城は実戦を一切しないまま廃城となりました。

【写真】
弘前城といえば桜の名所。
桜と現存天守の写真が有名です。
・・・でも、非常に混雑するのでそのシーズンには行ったことがありませんw
天守
ということで、紅葉と天守です。
この日は曇っていたせいで暗い写真となってしまいましたが、晴れてさえいればかなり映えますよ(肉眼だともっときれいに感じましたし)。

こちらは現存三階櫓の二の丸辰巳櫓。
辰巳櫓

こちらは、5つ残る城門から、唯一実戦経験があるという、北門(亀甲門)です。
亀甲門

説明板

で、三の丸追手門で比較すると・・・
三の丸追手門
・・・まあ、普通の人にとっては間違い探しみたいなレベルなぐらいにそっくりです。

ちなみに、水堀と紅葉。
紅葉
桜とともに紅葉(こちらはややマイナーですが)も有名です。
・・・秋の日本海側は天候が不順になりやすいので・・・

弘前は津軽三味線を聴きながら飲めるお店もあるので、これも含めてお勧めですよ。
訪問された方々
プロフィール

しろめぐらー

Author:しろめぐらー
山形を拠点に、日本のお城めぐりを趣味としています。
あわせて、各地の食べ物、お酒も楽しみにしています。

藪、へび、昆虫が嫌いなこと、運動不足でバランス感覚にかけていることなど、さまざまな理由によって険しいお城を避けたり、がんばっても途中撤退するなど、ヌル系ですがそれなりに巡ってます。

一応、現場主義ですが、間違ってたらコメントなどでご指摘ください。


ツイッターで「本丸なう!」ってやってます。

TwitterID=JCRsrchr

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